広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

7月最後の月末稽古会

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7月31日

令和三年7月31日、7月最後の月末稽古会を行いました。ここ一週間の関東、関西を中心とした全国の感染者数は正しく感染爆発を示す数値となってきました。当地広島でもおそらく来週は三桁に成る事は避けられないでしょう。又しても道場が使用出来なくなる事が予想される月末の稽古会で有りました。

稽古出来る事が当たり前でなく、稽古できる事を感謝する心を常に持ち、常に周りに活かされている感謝の念を忘れぬ様に、丸10年に成った者、10年目を迎える弟子達に坐礼の際に再度伝えました。

道場での稽古、修行で身に付け或いは諭された教えを日常生活で活かす事・・・この様な時代に剣の修行を志し、取り組んでいる意義を今一度諭しました。道場と日常が乖離されては、武道としての剣の修行が意味を為さなくなります。新陰流の教えにある(博文約礼の意有り)と言う事の今一度の理解実行を求めました。

この10年に及ぶ間に数えきれない無作法、無神経な言動を繰り返し、時には出入り禁止にもなった者達です。今この場に居られる事の僥倖を失わぬ様に願うばかりであります。最早一人前として扱う時期に来ております。其処には責任が伴います。周りへの欠ける事なき気配りが求められます。ウッカリしてました…気が付きませんでした・・・二度と許されぬ事もあります。

又しても更新されたであろう猛暑の中で、木刀による打込み稽古から始めました。小波で攻め、大波で打込み、小波で抜けて行く・・・目も眩みそうになりながら打ち込んで来る永原君に今一段の大波を求めました。小波で抜けて行く事に気が行き過ぎて、打ちが小さくなっておりました。

小林君は、初太刀から振り被りが小さい・・・直ぐ分かったと勘違いする悪癖が最初から顔を覗かせておりました。今何を意図とした稽古を行っているか・・・状況の判断が未熟。基本稽古の時に地稽古の心配をして何とするか。

水分補給を少し多めに行いながらの稽古でありましたが、ほんの一瞬開け放した玄関から涼風が吹き込んできました。誰かさんの存在を感じた一瞬でありました。

真剣での抜刀では、制剛流の母刀を中心に抜き合いました。その中の何気ない所作に宿されている意味を伝えました。形だけでは何の意味も成しません。ハッとして再度取り組む二人の様子が印象的でありました。その後、基本刀法を心行くまで繰り返しました。

防具を着けての地稽古では、之でもかと言う程の汗を出し尽くしながら、懸命に懸ってくる弟子達で有りました。ある者は、前に出るだけでは如何ともし難いと思ったのか、少し体を引く事も試しておりました。ある者は(迎え)宜しく剣先を開いて誘いらしき物を入れてみたり・・・10年早い!その様なこざかしい小細工が通用するはずもなく・・・返って打たれる隙を作るばかりです。

今は只、自身の体捌きを伴った鋭い打ちを求めて前に出るしかありません。苦しい事ですが、苦しさの先にしか上達は有りません。楽をして身に付く事など何もない。

5時間の暑中稽古が、心地よい疲労感と遣りつくした満足感のを伴って終了しました。

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