広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

5月、ゴールデンウィーク明け最初の土曜日稽古会

令和四年5月14日、ながい連休明けの最初の稽古会を行いました。この日は、二人の直弟子が稽古に出向いて参りました。まだまだコロナ禍の影響で職務の関係上、週一の稽古にも支障が出る者も有り、已む終えぬ事ではあります。

少し稽古を離れていた二人で有りますので、挨拶もそこそこに先ずは、一人遣いに精を出しておりました。二人の様子を観ておりますと一人稽古に取組む意識の違いがみて取れました。個人の性格も有るでしょうが、形を作ろうとする作為を感じ者には、正す事としました。

自身の形は、正しさを求めて振り抜く事で出来て行く物です。行を持って出来る物であり、作ろうとしても出来る物ではありません。出来たとしてもそれは役にも立たないまがい物でしかありません。自身の形は、単なるカタチではありません。正しさを求めて必死に取る組む事で自然に身に付くもので、出来上がったカタチをイメージして作る物は所詮空想のまがい物です。その取り組みは、全く独り善がりの無駄骨です。

正面への坐礼行い、永らく手渡す事が叶わなかった、皆からの祝いの品で有りますお守り刀を永原君に贈呈致しました。我が子も出来、良い時期と感じて、大会を控えたこの時期に手渡す事としました。このお守り刀は、彼が社会人となり初めて求めた真剣(盛秀)と同じ刀匠の作であります。縁あって彼の元に辿り着いた短刀は、永原家及び我が子の守り刀と成りました。

 

稽古に入り、先ずは二人に不足気味の木刀にての打込み稽古を行いました。打ち其の物も当然ですが、此処では身体の運びを身に付けます。小波で攻め込み大波で打ち、小波で抜けて行く・・・打込む相手に只一直線に身体を運ぶ、それも鋭く・・・ただこれだけの事が中々に難しい。

自身の思いのままに体を運び、打つ・・・数限りなく打込みを繰り返す事でしか身に付かぬ行であります。

兵法では、本伝の太刀、試合勢法と遣い合いました。本伝の太刀では共に良き働きを出しておりました二人でありました。道場での稽古不足を平生の一人稽古で工夫している様子が見て取れました。

真剣での抜刀では、基本刀法を心行くまで振り抜いて貰いました。少しでも気が籠らねば刀は心地よい刃音をたててくれません。気の継続を求めました。

稽古の締めは、防具を着けての地稽古であります。同じ攻めからの打ちを10数本続けざまに打たれ、攻めの質の違いに混乱する弟子達でありました。攻めは圧倒する、崩す・・・だけが攻めではないと諭され・・・ますます混乱している弟子達でありました。混乱した時は伝授された形の中に答えを求めれば良いだけであります。答えは全て形の中にあります。

すぐ其処迄夏の気配が忍び寄って来ている気配を感じながらこの日の稽古を共に充実感を持って終える事が出来ました。奉納演武まで更に共に気を高めて参ります。

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