広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

四月広島での日曜最終稽古会

四月広島での土日稽古会の最終日曜稽古会を行いました。先日は学校行事の為道場が使用できず稽古は休みとしそれぞれの一人稽古としました。四月最終稽古会は此処最近では一番の冷え込みと言って良い程肌寒い中での稽古会となりました。その為か或いは出稽古及び今までの稽古の疲労の蓄積によるものか此処最近では殆ど感じることのなかった盛り上がりに欠け、各人の熱を互いに良き刺激とし一体感を共有する熱気に欠ける今ひとつ盛り上がりに欠ける稽古会となってしまいました。


これは各人が自分一人の事に精一杯で他の者の稽古を観るゆとりを失っている事に由縁すると思われる。人が集まり稽古をする場において自分一人が常に懸かる稽古をする事など出来るはずも無い。自信の稽古でない時の過ごし方が大切です。その主は見取り稽古であります。剣の修行において観て取ると言う事が最も大切な事です。良いものは良い不味いものは不味いと観、良いものは積極的取り込み、不味いと感じたものは自身に省み他山の石とする常の態度が必要です。見取り稽古の中でハッと感じた事があればその場で一人直ぐに試して見たいと思う事は有ります。その時には稽古の邪魔にならない様に、その場の雰囲気を壊さないように鏡に向かい一人遣って見る事は良いのです。大切なのは稽古の邪魔にならないようにと言う事です。


人が稽古している時にその邪魔にならないようにすると言う事は当会に入会するときに申し添えている事ですがその為には常に稽古の様子に気を配る事が大切です。まずは皆の稽古を観る、これは最低限の礼で有ります。観られている者にもしっかりと観てくれていると言う気配が伝わらなければなりません。その気配が伝わればその感じた者もしっかりと観るものです。これで礼が通じあいます。その後に稽古している者が彼我一体となり没我に近い状態で集中仕合少々の音或いは気配に煩わされないと感じた時が見取り稽古を中断し鏡の前に移動する事が許される時です。常に場の雰囲気を感じる事が大切です。一人善がり、一人合点は許されません。


然るに今回は、確かに手持ち無沙汰の気配を発した者がいた事は残念でならない。本人はそれなりに気を配り行ったものでは有ると思われますがまだまだ礼になっていない。もっと自身としっかり向き合い道場内での自身の弱いこころと戦い、一人では出来ない修行のあり方を確り見つけ真摯に謙虚に修行精進する事を願う!