一人遣いで30分程身体をこなして貰った後に稽古に入りました。先週からコツを掴んだ体の出をこの日も実践して参りました。しかし、少し飛込み気味の感は有りましたが、角を矯めて牛を殺すの例えに成る成る事を危惧してこの日は彼の感性に任せました。極端な様であれば、無論時期を観て正します。それよりも気に成ったのが、順逆の太刀筋で有りました。如何も竹刀ではその狂いに気が行って無いと感じましたので、木刀での打込みに切り替えました。
木刀で打込んでみれば其の太刀筋の狂いは、如実に体感できます。硬い白樫の木刀での手応えに、少し怯えながらも、良き手応えを求めて遣い合いました。竹刀とはあまりに違う、打ち合わせる手応え、感触に時に手に痺れを感じている様でしたが、構わずに続けさせました。時間と共に前回からの無茶振りが、自然に正されて参りました。怪我の功名と云う処で有りましょうか。汗が確りと剣道着に染み込んだ頃には、其れなりに太刀筋も正されて来ておりました。
兵法は三学、九箇、下から、小転と遣い合いました。呼吸法に気を凝らして、只々夢中に成って遣い合いました。少しずつ下からの遣い分けを身に付けて云って貰います。何時でも演武に応えられるように。木刀よりは軽い竹刀では、最初は如何しても剣先が浮き気味に成って仕舞います。其れも又数本振り合う内に、良き連動が出ておりました。最初からその様に遣えるように、少しコツを伝授しておきました。
最後に抜刀を抜き合いました。居合の母刀を抜き合いながら、立合とは違う足腰の捌き、負荷に四苦八苦の永原君で有りました。帰宅してからも次回の稽古までに、部屋での一人遣いに励む様子が目に見える様で有りました。