広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

7月第四土曜日稽古会

令和六年7月27日、7月第四土曜日稽古会を行いました。この日は永原君が出向いて参りました。前回の稽古では、気の張りの不足を指摘されての今回の稽古であります。その事を確りと意識して先ずは、一人遣いに取組んでいる様子の永原君でありました。彼の一人遣いを観ていると・・・確かに着実にその歩を進めています。

坐礼を行い、先ずは一人遣いの成果を実際の打込にて確認であります。木刀での打込みでは、当初の硬い打ちが、木刀でも軽やかさが出て来ております。之は一人遣いの成果の一つであります。蟇肌竹刀で身に付けつつある柔らかい手の内を硬い木刀でも身に付けつつあります。

打込みでの滑らかな体捌き・・・体の運びでは、摺足での送り足にも可成りの滑らかさが出て来ております。床板が湿った時の時としてコトコト音をたてる事は完全には解消されていませんが、それも又可成り小さな音に成って来ております。課題は真っ直ぐに体を運ぶ・・・ある方向には出来て、観えている景色が違うと左に偏って行く・・・それの解消が急務です。

剣はその場で真っ直ぐに振れれば良い・・・とはいきません。剣の振りは、全て体捌き、体の運びを伴わねば役にはたちません。其れも人を相手に出来ねばなりません。生涯を掛けての師弟同行であります。

兵法では、前回の反省を良く生かしている様でありました。今出来る気の張りを遣り抜こうとする気迫を感じました。あいてに通じるかどうかは問題でありません。先ずは自分の充実を求めて立合うしかありません。それがあれば、後は師の位が導いてくれます。良き本伝の太刀でありました。

剣道形では、手順は可成り身に付けつつあります。しかしまだまだ兵法程の回数を重ねてはおりません。師弟同行の回数を薄紙を一枚ずつ積み重ねてゆく行を行って行くしか本物になる道筋は有り得ません。剣の修行に速成は有り得ませんし、本物には成り得ません。段位も然り・・・修行年数の足りぬ見せかけ段位など全く意味を為しません。それにしても世に見せかけ段位の何と多い事か・・・馬鹿馬鹿しい事であります。

真剣での抜刀では、何故にか下半身・・・土台の不安定さが観えておりました。兵法での気の充実を求めすぎて・・・力尽きた様子でありました。しかしながら・・・それも良しであります。尽きれば又、復活する・・・事もあります。

稽古の締めは、防具を着けての地稽古であります。無論、その前に打込みは当然であります。基本を身に付けるには生涯打込みは欠かせません。形稽古では出来ている事が、実際に人を打とうとすると乱れが出る・・・気持ちの持って行き様の何と難しい事でありましょう。

彼の乱れは・・・矢張り手元に表れます・・・右手の備えに僅かな力みが出て、振り被りが全て人中路からズレて仕舞います。之では打ちに行けば、その隙を捕らえれて仕舞います。打たれに出て仕舞う現象と成って仕舞います。

正しい振りは、攻めとなり、防御となります。打たれながらその正しい振りを身に付けて行くしかありません。

全ての稽古を遣り通して、本日の稽古終了としました。

日記

広島武徳会