広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

2月第三日曜日稽古会

令和六年2月18日、2月第二日曜日稽古会を行いました。この日は新年二度目の永原君との直伝稽古となりました。2月と言えば一年で何時番寒い時期ですが・・・この日は春の訪れかと思える陽気の一日でありました。

そんな中で先ずは一人遣いに精を出し、心地良い汗を流す永原君でありました。彼の何時ものルーティンを熟したところで坐礼を行いました。

彼我一体、師弟同行で行う木刀による打込み稽古では、心地良い木刀の打ち合わさる音が道場に響いておりました。ここ数年来の彼の課題でありました踏込みから摺足での体の運びの際の(コトコト)と出ていた足運びの音も何時しか(スッ、スッ)と言う心地よい物に成っておりました。知り得た事を身に付ける難しさ・・・一つ物にした様でありました。之を更に人を相手にする際に役に立つ物とせねば成りません。人相手に通用せねば何にも成りません。剣に独り善がりは無用です。更なる上達あるのみです。

応じ技の基本打込では、流しに僅かな課題を課題を残しておりました。相懸で一点に集中した後にサラリ(カラリ)と流す・・・相手の力を利する活人剣の根幹に関わる処です。求めて行くしかありません。単なる力や勢いだけでは知り得ぬ境地を求めて師弟同行が続きます。

兵法では心地よい緊張感を共有しながら本伝の太刀を遣い合いました。本伝の太刀は、本来大調子大拍子で遣い合うのが本筋ですが、ピリッとしたところも欠かせません。例え観ている人が、素人でも踊りと感じられる様では駄目です。剣の形・・・組太刀は殺陣ではありません。その意味では合撃は今少し鋭さが求められます。納まりすぎては殺陣に成って仕舞います。形を整える気持ちはご法度です。形は所詮斬り合い・・・です。

真剣での制剛流抜刀術では、先ずは基本刀法をそして母刀を数多く抜き、振り・・・そして立合表裏を抜き合いました。根幹に成る太刀筋は一刀両断、順逆です。この振りを何処までも求めて参ります。剣の修行は奇を衒う事とは真逆です。一見単純と思える中にしか真理はありません。

この日は時間の都合上は、地稽古は行いませんでしたが、良き心地よい時を共有できた一日でありました。

日記

広島武徳会