広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

七月博多定例稽古会

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七月博多の定例稽古会を行いました。暑中稽古真っただ中の稽古会で有りましたが、早良区の剣道場は弱冷房が利いておりました。全国的な節電モードの中での冷房ですから無いよりはましと言う程度では有りましたが、入場した時だけは確かに涼しいと感じました。しかしその涼しさも剣道着袴に着替える内には失せておりました。弱冷房とはいえ機械が動いておりますので、窓を開け放す訳にもいかず、身体を動かすと直ぐに汗が吹き出して参りました。この時期は汗を流すのが修行ですので致し方有りません。確りと良き汗を流す事としました。


基本稽古では踏込みでの打込みを求めましたが、ここの床は道場作りの割には固めの床ですので皆少し難儀気味で有りました。その為か足袋を履いている者もありましたが、本日の乾燥した床では滑って少し遣いにくい様でありました。市原さんの打込みは少しずつでは有りますが良く成って来ております。勿論課題であります処は変わってはおりませんが、数百本の打込みの中には時として良い打ちが出て参りました。しかし元立に対しては如何しても正しく遣うと言う事よりも打とうとする意識が勝ってしまい、如何しても手先での無茶ぶりが出てしまいます。無意識に速く強く打ちたいとの我欲が出て仕舞うようで有ります。無意識とは言え所詮自身の欲から出る事でありますから、もっと自分の心との対話をしながら自身の心のあり方を知り、正す努力をせねば成りません。自分はそうは思って無いなどと自身をたばかる事は厳禁で有ります。自身の行動はすべて自分の責任で有ります。又逆の指導を受けているときに順に気が行ってる様では真の上達は有り得ません。指摘指導される事にもっと真摯に向き合わねば駄目です。その様な性癖では所詮悪癖を身に付けて仕舞います。直伝の導きに素直に集中することを求めます。先輩の打ちも前に出るそれは確かに鋭く力強い物に成りつつ有ります。しかし時として太刀筋が捲れて仕舞います。捲れては斬れません。斬れぬ打ちは叩きでしか有りません。何処までも太刀筋を求めて行って欲しいと願っております。下がりも数本は良いのですが少し追い込まれると縮こまって仕舞います。何時までも其処の処に留まっていられても困ります。(そろそろ何とかせんか!)


兵法は後回しにして抜刀から抜き合う事としました。勿論汗対策の為で有ります。居合から始めましたが、やはり市原さんの膝を考慮し、立合に移行しました。剣の修行は心身を壮健にすることが大前提でありますので、修行で身体を痛めることがあっては成りません。特に年齢がすすんでの怪我は致命傷になりますので無理な居合は必要有りません。確りと立合を取組んで貰いました。特に感心したのが雷刀にとっての残心で有ります。軸足の納まりがしっかりしてまいりました。之もまた打込みの成果であります。褒めておきました。課題は真っ直ぐに運ぶ体捌きと納刀の左指の遣い方であります。特に指は生きておりません。左右を常に連動させる工夫を求めました。


兵法は三学、試合勢法(八勢、中段)、九箇を遣いました。特に試合勢法はこの暑い中ですので、返って激しい遣い方を求めました。八勢での体捌きで足を滑らしているにもかかわらず、中段でも足袋を脱ごうともしない為、案の定足を滑らせてまともに遣えぬ状態に陥っておりました。(足袋を脱がんか!)と一喝する羽目になりました。まともに遣えぬ状態で足袋をつけるなど論外。滑るのが判っているのに遣うのは足袋を履いても滑らる工夫をするつもりで有ったとは思いますが、まさか足が汚れぬ為などとの戯けた理由ではないとは思いますが!時として阿呆な言動が有りますので油断は出来ません。確り監視してまいります。


市原さんの三学は良くなって参りました。特に二の斬りは拳が下がり気味でありましのが良く正されてきております。後は合撃の拍子を合わす工夫で有りましょう。試合勢法は時としてまだ迷う時は有りますがそれは然程問題では有りません。問題は迷った時に苦笑い照れ笑いの表情を出すことです。之も又自身の心と向き合う事を誤魔化しております。表情特に笑いの表情が顔に出るようでは剣とは申せません。もっと自身の心と向き合う事を求めます。


今回は皆熱中症モドキにならずに稽古を終える事が出来ました。良い手応えと課題を各人持ち帰る事が出来た稽古会で有ったと思います。これからますます暑くなります。確り気を張り良き暑中稽古を展開して参りましょう。