広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

3月最後の日曜日稽古会・・・年度末

令和六年3月31日、3月最後の年度末でもあります日曜日稽古会を行いました。山口から永原君と昨日に引続き呉から齋藤君が出向いて参りました。

先ずは一人遣いに精を出す二人でありました。師の前での一人遣いは日常の其れとは別物となります。噴き出す汗を懐の手拭いで拭いながら緊張感を持って取り組んでおりました。昨日あれ程厳しく一人遣いを指導されたにもかかわらず、又しても一人勝手な足捌きを厳しく指摘される齋藤君でありました。この者の思い込みと思しき勝手な言動は、ある種筋金入りであります・・・厳しき𠮟りつけ、正させました。阿呆にも程があります。

基本打込では、各人が課題を確り認識して取り組む事が大切です。只夢遊病者の様にのんべんだらりと繰り返せば良いと言う訳ではありません。確りと求める物を自覚し、それの習得を強く意識して取り組まねばなりません。

永原君は打ち抜けによる体の運びが、まだまだ真っ直ぐとは行きません。左に傾いていきます。一本一本に気を込めて只管体を真っ直ぐに運ぶ事に集中する事です。何気ない事に大切な教えが含まれております。

齋藤君は、打込む深さには少しは気が行くようになって来ましたが、順逆の刃筋がまだまだ不確実です。更なる精度を求めての基本稽古が必要です。

兵法では、二人とも気の充実不足から形を作ろうとしたり、合撃の際に打太刀の勢いに押されて上体がのけ反ったりと戒律に触れる現象が出ておりました。各人確りと自覚し、正す事を命じました。

大切な事は只々基本の中にこそあります。平生の素振りにもっと心を込めて取り組む事を求めるばかりであります。

他の者が伝承を受けている時に他人事と成らぬ態度を求めました。見取り稽古の大切さを再度説きました。稽古に臨む誠実さが欠けぬ様に心させました。

真剣での基本刀法では、まだまだ竹刀、木刀での稽古が活きておりません。真剣での振りが竹刀、木刀で得た物と別物に成っては稽古の意味がありません。一つの物としての修行を求めました。

一気に春と成った昨今、道場内の稽古の陽気を更に高めて参ります。

日記,

広島武徳会