広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

4月第三日曜日稽古会

令和六年4月21日、4月第三日曜日稽古会を行いました。この日は永原、小林君が出向いて参りました。両名共に夕方からの予定を抱えての参加でありましたので、平素の稽古時間を半分にして三時間予定での稽古会となりました。従って最後に行う地稽古は今回は取り止めとしました。

先ずは何時もの様に夫々の思いで一人遣いに精を出す二人でありました。平素の一人稽古に思いを馳せながら二人の様子を観ておりますと、先ず感じるのは中段に取った時の位の不足であります。雷刀(上段)から始めて中段になると途端にみすぼらしく成ります。そこの処は言葉を添えて自覚を求めました。これでは一人稽古が、地稽古に繋がりません。中段は攻防一体の位です。万全の備えをしながらも攻めと成り、瞬時に打ちに変化する働き、動を備えていなければなりません。常に相手が目の前にいる事の意識を忘れては剣と成り得ません。

そして体の運びが乏しい・・・一人遣いの時こそ如何に体を充分に運ぶかを念頭において置かねば成りません。一人遣いは稽古です。殺陣の練習と成り下がっては時間の無駄であります。強く自覚を求めました。師の前での一人遣いで汗だくだくとなる二人でありました。

基本打込でも単なる惰性の繰り返しに成る事無く、真の稽古を求めて行わせました。一見単純、簡単に思える事の中に突き詰めれば何とも難しい事に気が付かされる二人でありました。軽やかに打っている積りでも力みが入り、左肩が上がり、叩きと成り・・・体は真っ直ぐ運ぶ事が叶わず・・・頭では判っている事の実際に行う事の難しさを再認識する二人でありました。基本を身に付ける事の真の難しさを感じる二人でありました。基本稽古は一生です。

 

兵法、剣道形では、基本稽古で気が入ったのか、気の充実は素晴らしかった二人でありました。特に三学、そして剣道形では身体の芯から熱くなるのを感でじたのは、二人を相手にして初めてでありました。形を打ち終えて上気した様子の二人を観て、あらためて頼もしく感じました。二人の剣道形が真の稽古に入った瞬間でもありました。打太刀と真に合気と成り、呼吸法に気を配り、必死に遣えばこの様になります。成らねば真の形稽古とは言えません。三学も常にこの様に遣えねば本当ではありません。

最後に真剣にて抜刀を抜き合いました。体を確りと運び、気を入れた踏込みを為し、足腰刀の連動で振り切る・・・振り切った剣先は流れる事無く、ピタリと止まるように・・・真の振りを求めて時間の許すまで、刀に己を没入して無心の行を求めました。

日記

広島武徳会