広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

大竹稽古会

イメージ 1
五月最後の日曜日稽古会は、久々の大竹での稽古会と成りました。この時期は何かと学校行事が多く、平生の道場が土日共に使えない状態でありました。工場地帯に位置する大竹の剣道場は、窓の開放が通常行われてなく、その為に空調が完備されており、この時期の稽古には大変助かります。無論、如何に暑かろうと自然な風の入る道場で清々しい汗を流す事は好む処ではありますが、外気と遮断された温室状態では些か苦しいものが有ります。その意味では大助かりで有ります。

そうは言っても弱冷房でありますので、一人遣いの段階から木刀に染み込む汗を手ぬぐいで拭いながらの稽古に勤しむ永原君で有りました。最初から良き汗を流せそうな雰囲気万点で有りました。邪魔の入らないように柔道場も貸り切っておりましたので、思う存分稽古に没頭できました。

礼法を行ない、早速に基本稽古に入りました。剣道場の対角線を遣い、何度も往復を繰り返しました。途中、太刀筋にばかり気が行ってしまい体の出が疎かになっておりました。即座に正して取り組ませました。この処兵法でも時折顔をのぞかせる単なる形ばかりを整えようとする悪い癖であります。本末転倒に成らない様に申し付けました。打ち合い、斬り合いにおいて役に立たぬ悪癖に成りかねません。勘違いせぬように言葉にても申し添えました。

兵法は先ずは三学を気一杯で遣い合いました。合擊、二の斬りの際の呼吸法を今一度認識させ、今ひとつの気の爆発、そこに至る呼吸法を求めました。二の斬りは前回より初太刀から気がこもっておりました。演武に向けて確りと気を高めて行って欲しいもので有ります。その後、九箇、中段と遣い合いました。九箇の突きの気勢は徐々に良くなって来ております。後は八重垣の体捌きと村雲の勝ち口でありましょう。これは演武で遣う事になっても速成は求められません。その時その時期を只一生懸命に遣いきるしか有りません。所謂気一杯であります。只熟成を待つのみであります。中段はまだまだ鋭さに欠けます。ややゆったりと遣う本伝の太刀とは違い、それなりの鋭さ激しさが求められます。無茶苦茶に遣ってもらっては困りますが、若者らしい溌剌さは必要であります。
最後に時間のゆるすまで抜刀を抜き会いました。斬り下し自体は良くなっております。しかし時として指先に余計な力みが見られます。それは剣先の乱れとして現れますので確りと自覚出来るはずであります。真摯に自身と向き合って欲しいと願っております。