広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

六月最初の日曜日稽古会

六月最初の稽古会を行ないました。この日は当初、宮島厳島神社において奉納演武を行う予定でしたが、諸般の事情により取り止めました。その代わりに次週、ご招待を頂いた北九州の英信館60周年記念大会にて演武を行う事と致しました。今回の稽古会はその為の最後の稽古会と成りました。
毎年、稽古の一環として年に一度の演武を皆に課しております。それが今までは神様の前にて行う宮島厳島神社の演武でありました。一年の修行の全てを神様に真摯な心境で披露し、お言葉を頂き、又次の年の稽古の糧とすると言うスタンスで行って参りました。小生の意を汲み、弟子達も真摯に取り組み、演武を終える毎に皆格段に上達して参りました。当会の取り組みは皆其々に真摯に一年を通して、又当日も威儀を正してその場に臨んでまいりました。しかしながら他の団体には礼を失する事が、多々見受けれる様に成って参りました。場におもむく際の服装の乱れ、場に立っての無作法、ましてや平生の稽古も満足に行っていない者までいる始末。これでは演武と言える筈もなく、町内会の演芸の類であります。場に立たせるには立たせる修行をし、相応しい者を礼に即して立たせるべきであると考えます。神聖な場に相応しく無い者達と同じ場に立つことは出来ないと考えている処に天の啓示の如く届いた御招待は正しく天の采配であると感じ入りました。
北九州の場は皆初めてでありますので、場に即した礼法を含めてこの日の稽古を行いました。五月に出向いて来れなかった野原君もこの日は駆け付けて参り、演武者全員で心ゆくまで稽古を行いました。只一つ心残りは、やはり廣川君が副作用の回復が思わしくなく一緒に行く事が出来なくなった事であります。
座礼を行ない、無論基本稽古も確り行ない、本番さながらに入場から退場までを繰り返し遣い合いました。演目は三学、中段、九箇、下からとしました。演武と言っても何ら取り繕う事無く、只気一杯で遣う事を目指し、精根尽きるような遣いっぷりを求めました。他の如く、上手く見せようとか、整えようなど無論論外であります。演舞ではなく演武を何処までも求めました。その為には平素の稽古のままに気一杯で真摯に遣うばかりであります。
最後に時間のゆるすまで抜刀を抜き合い、本日の稽古を終了としました。
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