広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

10月第三日曜日稽古会


平成30年10月21日、10月第三日曜日稽古会を行いました。この日は柳井から関戸君が激務の合間を縫って出向いて参りました。一面に敷かれた畳の中に有る、僅かな板の間を遣って先ずは、一人遣いに勤しむ彼でありました。やはり板の間の感触に勝るものは無いのでありましょう。
静かに観ておりますと平素の一人稽古の様子が観て取れました。日々、良く励んでいる事が感じられます。その中でも捨て置けぬ処を一点だけ正しておきました。一人稽古では、何時の間にか見過ごされているであろう処であります。稽古は、所詮自得が一番で有ります。教えすぎる事は良くありません。かといって我流に流れる事は、駄目であります。頑空に陥らぬ様に自得を促しながら導くばかりであります。
正面に供えられた廣川君の写真の前で共に呼吸法に心身をこらし静かにしかし熱く呼吸法に勤しみました。
其処からは、彼が今最も求めて止まぬ立合の間でのやり取り・・・殆ど静かに竹刀を備えているだけの元立から発せられ、次々と繰り出される攻め・・・攻めで有ろう不思議な気当たり、竹刀の揺らめき・・形容し難い・・自身の心身に及ぼされる、理解しがたい働き・・・只々、今は其れを全身で心身に浴び続け、揺れ動く自身の心身の変化を感じながら夢中で打込みを繰り返す関戸君でありました。
何がおきているか判らぬ現状・・・しかしながらその状況を感受している間に何時、しかし自然に無意識の内に師の位の者から伝授を受け、何時の間にか自身の物と成っている、所謂・・攻め・・・。その時が楽しみであります。
その後、兵法を本伝の太刀を中心に行いました。久しぶりに最後に試合勢法を遣い合いましたが、これも又一人稽古で良く遣っている様で淀みなく遣っておりました。之には少し感心致しました。しかし、竹刀を打ち合わせねば判らぬ処の正は施しておきました。
最後に抜刀を真剣にて抜き合いました。特に踏込みを伴っての抜打ちは、丁寧に行なって貰いました。剣は、所詮踏込みであります。これは、何処までも求めて行かねばなりません。
全ての稽古を終えて次回の稽古を楽しみに帰途についた関戸君でありましたが、彼の職務に関する重大な事故が数日後に発生し、次の稽古に何時参加出来る判らぬ状態陥っている現在で有ります。