広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

延岡 志誠館の道場開きに参加

令和六年4月6日、延岡へ出向きました。志誠館の道場開きの式典に参加する為であります。昨年逝去された甲斐氏が残された道場を正式に佐藤館長率いる志誠館が引継ぎ、新たなる拠点として引き継ぐ事になりました。

甲斐氏とのご縁は、宮島嚴島神社奉納古武道演武大会での邂逅から始まりました。時は平成24年6月の事でありました。その頃はまだ大会実行委員長に成る前でありまして、甲斐氏も一人で参加され空手の型を演武されていました。我々の新陰流の演武を観られて、人懐っこい笑顔で話しかけられ、新陰流仕込杖(十兵衛杖)の伝授を懇願されました。

思わぬ懇願でありましたが、その求めて止まぬ無邪気な情熱に絆され、延岡に出向く事と成りました。延岡とのご縁はその様に始まりました。その時の伝授の場として案内されたのが本日の道場でありました。二階建ての私道場でありました。空手から始まり、合気道中国武術、居合等手あたり次第と言っては失礼かもしれませんが、好奇心の赴く儘に色々な武術に手を染めておりました。

小生と出会った頃は少し自身と言う物に迷い彷徨い始めておりました。色々な事を遣りすぎて、総合武術などと言う世迷言に逃げている頃でありました。

小生との出会いは、その様な状態から何とか抜け出そうとする中での出会いでありました。その状態を感じ取り、武道と言う物をトコトン伝える事としました。受け取れねば斬り捨てる覚悟でありました。

その頃の甲斐氏は70歳過ぎでありました。嬉々として新陰流外傳に取組んでおりました。しかしながら剣と言う物に正式に取組んだ事ない氏に取りましては、その年齢に諦めを感じる事となりました。小生はそうは思いませんでしたが、ある時に(新陰流を学ぶには年を取りすぎました)と寂しそうに申され・・・そこから疎遠になっておりました。

しかしながらご縁の糸は切れてなく、昨年3月七年振りの再会を果たしました。あれだけ元気の塊であった甲斐氏は・・・病に侵され、歩行困難そして言語障害認知症も患い、人生の最後に差し掛かっておりました。小生の顔を観るなり声に成らない声を上げ、不自由な体で抱き着いてきました。其れだけで蟠りも霧散し、出会った頃の二人と成りました。そんな甲斐氏が四か月後、再度小生が延岡に出向いている途中その日に旅立って仕舞いました。深い縁を感じざるを得ませんでした。

残された道場については相続人であります子供さん達に連絡を重ね、遂に同意を得て本日の運びと成りました。後は託された佐藤館長と志誠館の面々が、真の武道を求めて稽古を重ね、精進し次世代に繋げる事を願うばかりであります。

道場開きに際し、点てられたお茶を廣川君共々頂きながら、志誠館の真の発展を願うばかりでありました。甲斐氏を思い出しながらの来賓挨拶では、12年に及ぶ月日が走馬灯の様に思いだされ、染み出てくる涙を禁じ得ませんでした。そして廣川君の事に常に気を配って頂く堀之内先生の存在は志誠館の守り神の様に感じ入りました。

人の世の切っても切れない縁を再確認出来た良き道場開きでありました。   合掌。

日記

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4月、久々の平日稽古会・・・小林君、スーパーGT開幕戦開幕戦に向けての送り出し稽古

令和六年4月2日、4月最初の稽古会は、久々の平日稽古会と成りました。ほぼ四年振りの平日稽古でありました。コロナ禍で自粛しておりました平日の夜稽古でありますが、小林君のスーパーGT開幕戦を来週に控えて、土日何かと忙しく稽古に出向けない彼の為にこの日の稽古会となりました。

土日と違い稽古時間は3時間の確保でありますので地稽古は行わずに、基本稽古、兵法、抜刀を行いました。

一人遣いの様子を観ておりますと、踏込みによる体の運びに今少しの物足りなさを感じ、その点を伝えました。体の運びを意識する事で、明らかに足腰刀の連動に、良き働きが出て来ておりました。体捌きは備わる物で、作る物ではありません。彼の性癖の作ろうとする処は、遣い切ると言う処に心を持って行かねば成りません。備わる事を信じ、只只管に気一杯で遣い切る事を命じました。

木刀による打込みでは、強く振ろうとすると僅かな力みが生じ、左肩が上がります。右手主導に成っていました。言葉を添えて正しました。両手太刀は左が主です。無意識な中での備わりを求めて何度も打込みを繰り返し行わせました。元立が相懸るその手の内を伝えながら…手の内の伝承を続けました。

打ち抜けの体の運びは、何処までも真っ直ぐに・・・この一見単純に見える事が・・・中々に難しい・・・彼の場合は、右にズレて行きます。弟子夫々に癖があります。ある者は左にズレ・・・弟子達一人一人が全く別の人格です。同じようには参りません。夫々に応じた伝承を根気よく行って参ります。

兵法においては、特に直勢中段の位について言葉を交えて伝えました。この何気ない構えの中には、攻めと守りが備わっていなくては成りません。鉄壁の守りを備えながらも瞬時に攻撃に出る事ができねば成りません。攻撃の備わって無い守りは有り得ません。

兵法において何故に打太刀が打って出るか・・・そこを伝えました。何気なく行っている形の中の真の意味をそこから何を学び身に付けるか・・・果てしない師弟同行の修行有るのみです。

活人剣の真の意味も合わせて伝えました。地稽古で自身が打ち取られている意味を理解した様で有ります。知ってからが真の修行です。何時の日にか自身が遣いこなせる様に・・・果てない修行を積み重ねるのみです。

真剣での抜刀では、物心両面の伝承を行いました。伝えられ渡された物を真摯に受け継ぎ、身に付け、次の代に伝えられるように励んで欲しいと切に願っております。

三時間の直伝稽古を行い、送り出し稽古を終了としました。

日記

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3月最後の日曜日稽古会・・・年度末

令和六年3月31日、3月最後の年度末でもあります日曜日稽古会を行いました。山口から永原君と昨日に引続き呉から齋藤君が出向いて参りました。

先ずは一人遣いに精を出す二人でありました。師の前での一人遣いは日常の其れとは別物となります。噴き出す汗を懐の手拭いで拭いながら緊張感を持って取り組んでおりました。昨日あれ程厳しく一人遣いを指導されたにもかかわらず、又しても一人勝手な足捌きを厳しく指摘される齋藤君でありました。この者の思い込みと思しき勝手な言動は、ある種筋金入りであります・・・厳しき𠮟りつけ、正させました。阿呆にも程があります。

基本打込では、各人が課題を確り認識して取り組む事が大切です。只夢遊病者の様にのんべんだらりと繰り返せば良いと言う訳ではありません。確りと求める物を自覚し、それの習得を強く意識して取り組まねばなりません。

永原君は打ち抜けによる体の運びが、まだまだ真っ直ぐとは行きません。左に傾いていきます。一本一本に気を込めて只管体を真っ直ぐに運ぶ事に集中する事です。何気ない事に大切な教えが含まれております。

齋藤君は、打込む深さには少しは気が行くようになって来ましたが、順逆の刃筋がまだまだ不確実です。更なる精度を求めての基本稽古が必要です。

兵法では、二人とも気の充実不足から形を作ろうとしたり、合撃の際に打太刀の勢いに押されて上体がのけ反ったりと戒律に触れる現象が出ておりました。各人確りと自覚し、正す事を命じました。

大切な事は只々基本の中にこそあります。平生の素振りにもっと心を込めて取り組む事を求めるばかりであります。

他の者が伝承を受けている時に他人事と成らぬ態度を求めました。見取り稽古の大切さを再度説きました。稽古に臨む誠実さが欠けぬ様に心させました。

真剣での基本刀法では、まだまだ竹刀、木刀での稽古が活きておりません。真剣での振りが竹刀、木刀で得た物と別物に成っては稽古の意味がありません。一つの物としての修行を求めました。

一気に春と成った昨今、道場内の稽古の陽気を更に高めて参ります。

日記,

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廣川君、春のお彼岸のお参り

令和六年3月20日、春のお彼岸の中日、小林君を伴って廣川君のお墓参りに出向きました。何時もの様に(かとう花店)にて生花を求め、これまた何時もの万屋でお供えを求めました。この日は甘味ではなく、季節の苺でありました。

お墓に到着すると廣川君が今や遅しと待ち構えてくれていました。お墓を清め、お供えをして・・・般若心経を唱えました。積もる話をして・・・後は小林君に譲りました。スーパーGT開幕戦を控えて色々報告をしている様でありました。無論愛娘の近況も確りと伝えた事でありましょう。

御自宅には昨日、会からのお供えを送らせて頂きました。お母様から連絡を頂き、少し電話にて思い出話に花を咲かせました。

この日は、廣川君のお参りをすませると小林君とはこの場でお別れして呉の福永さんのお墓へと向かいました。墓所の管理事務所前で連絡済みの齋藤君が生花を用意して待っておりました。

我々の刀の師匠の墓前に花を供えて、二人でお参りをしました。

日記

毎年思う事ですが、春の彼岸のお参りを済ませると宮島嚴島神社奉納古武道演武大会への準備が佳境を迎えて忙しくなります。準備万端調えて良き大会とするべく知恵と気力を充実させてまいります。

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3月第四土曜日稽古会

令和六年3月23日、第四土曜日稽古会を行いました。先週は海上勤務明けの休暇中とはいえ、不摂生から目に隈をつけ、腑抜けた状態で道場に出向いて来て、逆鱗に触れ途中で稽古の相手をする事を拒否され、片隅で一人素振りに終始した齋藤君が少しは反省した様子で稽古に出向いて参りました。目の隈は綺麗に取れておりました。

しかしながら小生の怒りが全て納まった訳ではなく、稽古に出向く気迫と性根を正すべく、この日は師の位の見守る中での一人遣いに終始させました。正中段から体を進めながら満ちた気で振り被り、足を引き付ける事で面まで振り下ろす・・・この一観単純な動作の中に含まれる刀法の極意を如何に知り、身に付け、兵法や地稽古に活かすか・・・それをトコトン自覚させました。一点一画を疎かにせず、精緻を求めて道場の端から端までを遣い、延々と振り抜かしました。

振り被りにも確りと意識を持たせ、その意味する処と理想とする振り被りを目指して、其処からの足腰の連動から得物を振る・・・振りっぱなしにせず確りと意識を持った振りを目指す事をさせました。

一点一画を疎かにせずに時に言葉を添え、手本を示し、師の前での一人遣いは気が付けば三時間に及んでおりました。

一人遣いの難しさと、大切さを思い知らせる三時間でありました。

日記

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3月第二日曜日稽古会

令和六年3月10日、3月第二日曜日稽古会を行いました。この日は、山口から永原君がそして昨日に引続き齋藤君が出向いて参りました。三月末から海上勤務が始まる齋藤君に幸いにも出会う事が出来て喜ぶ永原君でありました。二人並んで先ずは夫々の思いで一人遣いに励んでおりました。

木刀による打込みでは、一人遣いでの稽古(素振り)を基に実際に元立の木刀目掛けて打込む事を行います。一人遣いで求めた物を実際に打つ事で体現する・・・それがいざ人では無い木刀と言う物目掛けて打込むとなると一人遣いで求めた筈の事柄をサッパリと忘れてしまう・・・力任せに叩けば良い・・・とばかりに強さばかりを求めて打ち込んで来る・・・素振りを活かすどころか、別物として行う・・・戯けにも程がある。

平素から須らく全ての稽古を一つの物として行う事を厳命している。別物として取り組む事は当会では絶対に許さぬ。ましてや全ての修行を務める師の位を無視する物である。何故に師の位の者が全ての元立、打太刀を務めるのか・・・今一度考えを巡らせることを厳命しました。当会が行っているのは、練習ではなく、稽古である。

目に隈を作り、当日稽古に出向いて来た筈の齋藤君は・・・とても稽古には成らず・・・形稽古の途中で小生の逆鱗に触れ、直伝稽古を中止とし、片隅での一人遣いを命じられる始末・・・稽古を付けて貰う気に掛ける者に付ける稽古などない。時間の無駄である。他の者の稽古の邪魔に成らぬ様に命じました。

それでも独り善がりに成りがちで周りが見えない彼は、無神経な音を起てた瞬間に雷を落とされておりました。人としての成長の何と遅い戯け者である事か・・・。

永原君には、稽古で竹刀、木刀、真剣を遣う事の意義を今一度諭しました。夫々の得物でしか出来ぬ稽古がある・・・しかし夫々の稽古が別物と成っては成らぬ・・・所詮は皆一つと成るような修行を求めました。

特に人相手に自由に打合う地稽古では特に形稽古と別物と成らぬ異様に・・・全ての稽古を地稽古に通じる様に・・・永遠のテーマ・・・求める処であります。

日記

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3月第二土曜日稽古会

令和六年3月9日、この日は新年早々の海上勤務に出向いていた齋藤君の稽古始めとなりました。彼が入門して初めてと言って良い遅い稽古始めでありました。

昨年来よりユッタリ振る事から強く振る事を身に付けつつある彼の素振りを観ながら、次への精度を要求しました。次は鋭くであります。そして勢いだけに任せて振っている現状から今少しの意思を乗せての振りを求める事としました。

先ずは強さを求めて振ろうとする事による状態ののけ反り・・・先ずはこれを正す事としました。一人遣いで正せねば形は無論地稽古で出来る筈もありません。将来の為にも近々の課題であります。

木刀による打込み稽古でもはやり力任せの意志の欠如した精度の低い打込み・・・打ちっぱなしと成っておりました。其処に少しずつ意思を持たせる事としました。

木刀を持つ手の備え・・・形・・・そして太刀筋への連動・・・遣るべき事は多々あります。

兵法では、合撃に現在の課題の全てが出ておりました。新陰流で生涯を掛けて求めて行く太刀筋でありますので、当然と言えば当然です。踏込からの足腰刀の連動・・・それも人を相手にしての・・・相手の勢いに立ち向かい、自分自身を充分に遣い切る・・・師弟同行で求めて行くばかりであります。目を逸らせている暇など微塵もありません。

新陰流の教えが色濃く編み込まれている剣道形・・・踏込みは現在の剣道形ではありませんが、摺足での連動を求めて遣い合いました。まだまだ剣道形用木刀に魂が籠っておりません。得物が変わっても即座に気を込められるように・・・振り込んで行くしかありません。

日記

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