令和六年3月9日、この日は新年早々の海上勤務に出向いていた齋藤君の稽古始めとなりました。彼が入門して初めてと言って良い遅い稽古始めでありました。
昨年来よりユッタリ振る事から強く振る事を身に付けつつある彼の素振りを観ながら、次への精度を要求しました。次は鋭くであります。そして勢いだけに任せて振っている現状から今少しの意思を乗せての振りを求める事としました。
先ずは強さを求めて振ろうとする事による状態ののけ反り・・・先ずはこれを正す事としました。一人遣いで正せねば形は無論地稽古で出来る筈もありません。将来の為にも近々の課題であります。
木刀による打込み稽古でもはやり力任せの意志の欠如した精度の低い打込み・・・打ちっぱなしと成っておりました。其処に少しずつ意思を持たせる事としました。
木刀を持つ手の備え・・・形・・・そして太刀筋への連動・・・遣るべき事は多々あります。
兵法では、合撃に現在の課題の全てが出ておりました。新陰流で生涯を掛けて求めて行く太刀筋でありますので、当然と言えば当然です。踏込からの足腰刀の連動・・・それも人を相手にしての・・・相手の勢いに立ち向かい、自分自身を充分に遣い切る・・・師弟同行で求めて行くばかりであります。目を逸らせている暇など微塵もありません。
新陰流の教えが色濃く編み込まれている剣道形・・・踏込みは現在の剣道形ではありませんが、摺足での連動を求めて遣い合いました。まだまだ剣道形用木刀に魂が籠っておりません。得物が変わっても即座に気を込められるように・・・振り込んで行くしかありません。