広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

3月第二日曜日稽古会

令和六年3月10日、3月第二日曜日稽古会を行いました。この日は、山口から永原君がそして昨日に引続き齋藤君が出向いて参りました。三月末から海上勤務が始まる齋藤君に幸いにも出会う事が出来て喜ぶ永原君でありました。二人並んで先ずは夫々の思いで一人遣いに励んでおりました。

木刀による打込みでは、一人遣いでの稽古(素振り)を基に実際に元立の木刀目掛けて打込む事を行います。一人遣いで求めた物を実際に打つ事で体現する・・・それがいざ人では無い木刀と言う物目掛けて打込むとなると一人遣いで求めた筈の事柄をサッパリと忘れてしまう・・・力任せに叩けば良い・・・とばかりに強さばかりを求めて打ち込んで来る・・・素振りを活かすどころか、別物として行う・・・戯けにも程がある。

平素から須らく全ての稽古を一つの物として行う事を厳命している。別物として取り組む事は当会では絶対に許さぬ。ましてや全ての修行を務める師の位を無視する物である。何故に師の位の者が全ての元立、打太刀を務めるのか・・・今一度考えを巡らせることを厳命しました。当会が行っているのは、練習ではなく、稽古である。

目に隈を作り、当日稽古に出向いて来た筈の齋藤君は・・・とても稽古には成らず・・・形稽古の途中で小生の逆鱗に触れ、直伝稽古を中止とし、片隅での一人遣いを命じられる始末・・・稽古を付けて貰う気に掛ける者に付ける稽古などない。時間の無駄である。他の者の稽古の邪魔に成らぬ様に命じました。

それでも独り善がりに成りがちで周りが見えない彼は、無神経な音を起てた瞬間に雷を落とされておりました。人としての成長の何と遅い戯け者である事か・・・。

永原君には、稽古で竹刀、木刀、真剣を遣う事の意義を今一度諭しました。夫々の得物でしか出来ぬ稽古がある・・・しかし夫々の稽古が別物と成っては成らぬ・・・所詮は皆一つと成るような修行を求めました。

特に人相手に自由に打合う地稽古では特に形稽古と別物と成らぬ異様に・・・全ての稽古を地稽古に通じる様に・・・永遠のテーマ・・・求める処であります。

日記

広島武徳会