広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

3月剣道高段者研究会(西宮)

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西宮中央体育館、剣道場(格技場)

令和四年3月23日、まん延防止等重点措置の為に中止しておりました西宮での高段者研究稽古会を三カ月ぶりに再開しました。広島は3月7日には宣言解除となっておりましたが、22日に兵庫県も解除と成り、23日のこの日に早速稽古再開とし、出向いて参りました。

山本御兄弟との稽古会も何時の間にか五年目に突入しておりました。無論世界的なコロナ騒動でその間の二年間は休止と成っておりましたので実質三年目と言う事になります。

昨年の11月に再開してからはそれまでの剣道形の研究会から地稽古も行う事としております。

道場に入りますと夫々に剣道着袴に着替えるのも時間を惜しむ様に手早く行い、早速剣道形から相手を変え、打太刀仕太刀と遣い合い、感想検証を行いました。

前回の反省を踏まえて仕太刀を遣う時は、明らかに呼吸法をに外れた刀の解き方に惑わされない様に打太刀に連れ従い拍子を外さぬ様に遣いました。拍子は外れる事はありませんでしたが、・・・やはり気の充実と言う処では物足りなさを感じました。やはり刀を解くには解く、呼吸法を伴った解き方があります。気の充実を外れる操作はやはり間違いで有ります。

六本目は、今回は何故にか大きな振りで来られました。小調子の鋭い打ちを予測ではなく決めていた(決められている)小生に取りましては、先に捌きに入って仕舞い・・・相手に連れ従うと言う点では反省で有ります。約束稽古の中の約束を外れてこられても対応する・・・形は地稽古の様に遣うを目指している小生としては、・・・未熟でありました。工夫します。

小生が遣う打太刀では、今回も彼我納得の一本がありました。三本目の突き、其処からの対応は彼我納得の一本でありました。二本目の仕太刀の小手への斬りは、之までの最高の太刀筋でありました。心地よい刃風が小生の小手に当たっておりました。

三本目の打太刀が間を切ろうとし、仕太刀がそれを許さじと間を詰め、顔の中心に剣先を附け残心とする処の山本先生の解釈は解説書を外れた私見であると違和感を覚えました。昭和56年の解説書の見解が全てであります。我らはこれを踏襲し深める事が使命であります。これに手を加えては成らぬと小生は日頃から強く思っております。

形の後の地稽古では、今回も小生がお二人のお相手を致しました。足の不調を気の稽古とし、奮闘される勝先生でありました。気が痛みに勝り、飛び込み面に来れた時には少々驚きました。それまでは全てが振り被りでありましたので。稽古の最中は確かに痛みは薄らいだり、気が付かぬ事は多々あります。その一本で小生も遠慮なく面を打たせてもらう事としました。心地よい出頭面が決まり(まいった)と言う勝先生のお声で、勇先生との地稽古と成りました。

小生の位攻めでジリジリ下がらざるを得ない処を何とか場を変え、攻め込みで盛り返そうとされる勇先生でありました。合気の儘では、如何ともし難いと感じられたようで、少し外す様な遣い方を試みておいででした。確かにその状態では真の一本を取る応じは難しい処がありますので、対応するのに少し時間を要しましたし、合面ではお相手の方に分のある一本がありました。そんな中でも全てが調った処で仕留めに入りました。

今回は新陰流では連撃と成りますが、剣道の世界では小手面の連続打・・・その初太刀の小手打ちで相手の動き働きを全て止めてしまい、彼我一体の契機を作り、面に仕留める・・・単なる小手面の打ちでない事は勇先生が稽古後のお言葉で述べられておりました。

今回も良き稽古が出来、充実の三人でありました。形の中の見解に尽きましても、解説書を深めても逸脱することなかれ・・・と言う小生の見解は変わる事は有りませんが、異説を異説で捨て置く事はせずに、解説書の理解を深め、再検証する事の労苦は厭いません。何処までも解説書に伝えられている事を掘り下げ深めて参ります。行を積みながら!