広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

新年剣道特別稽古・・・高段者稽古会

令和六年1月21日、剣道特別稽古会は、新年からは月一回の高段者稽古会となりました。昨年末の剣道七段昇段者の要望を受け入れる事としました。平素は自身の道場で青少年の指導育成に汗を流し、満を持して月に一回、当道場に出向いて参ります。新年初めての広島での高段者稽古会でありました。

稽古方法は昨年までと同じであります。先ずは日本剣道形の太刀七本、小太刀三本の仕太刀を打って貰いました。要望が有れば打太刀も遣って貰おうかとおもっておりましたが、まだまだ仕太刀を確りと修行したいと言う彼の姿勢を尊重しました。修行の方向性は、それで正解であると小生も常に感じている処であります。七段に合格したからと言って打太刀を・・・と、思う様では・・・杞憂でありました。彼は真の上達への道を間違いなく歩んでおります。今回は三本目の萎やし入れ突きに返すと言う処が不充分でありました。打太刀が水月に付いて来る処を胸につき返す・・・この点が曖昧でありました。形稽古は約束稽古であります。打突部位が正確でなければ成りません。突きからの位攻め・・・味わい深いと処でありますし、難しい処であります。まだまだ確りと仕太刀を練り上げて参ります。

地稽古は、この日も先ずは基本の面打ちからでありました。七段に合格したと言っても之からが真の七段に成る稽古であります。正しい確りとした面打ちが出来ねば、価値がありません。そういう意味では、少し小さく成りがちな打ちを大きく正しい打ちを求める様に厳命しました。大きく打てば、打たれる・・・この様な剣の素人の戯言に影響されている訳では無いでしょうが、七段に合格すると往々にして有りがちな事です。更なる真の剣を求める事を厳命しました。大きくと言う事の中には正しくと言う事が含まれております。そこの処を軽薄な頭でっかちで考えたり・・・素人考えは休みに似たりであります。常に学と言う姿勢が大切です。

地稽古(互角稽古)では、試験から解放された為でありましょう、小賢しい(あっち向いて、ほい・・・)とでも言う様な戯けた小手打ち(無論一本と成る筈もない)が出ておりました。少し強い言葉で罵倒しておきました。試験で行えば、即座に不合格に成る事は理解していて、しては成らぬと理解して事を・・・合格すれば何をしても良いとばかりに・・・人間の甘さであります。この様な無作法な打ちを今後一本でも出せば、二度と稽古をつける事は無い・・・と厳命しておきました。成らぬ事は成らぬのであります。
叱られて目が覚めたとばかりに、純真に求めて懸って来ておりました。割れる様な面を打たれ、満足した様に竹刀を納める新七段でありました。

日記

heike10.hatenablog.jp