広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

11月最後の日曜日稽古会・・・剣道特別稽古

令和四年11月27日、11月最後の日曜日稽古会は剣道七段挑戦者の為の特別稽古会と成りました。

来年の京都審査会に向けての稽古の開始であります。之までの剣道形、基本稽古、地稽古を更に高めて参ります。傾向と対策など有り得ません。遣るべき稽古を堅実に行って行くばかりであります。着実に剣力を高めておりますのでこの道を迷わずに進むばかりであります。所詮昇段試験は通過点であります。剣の道を歩み続けるばかりであります。

先ずは剣道形の仕太刀を遣い切って貰いました。一本目を遣い切る・・・これは良い気でつかっておりました。しかし・・・一本目で早くも精魂尽き果てた訳では無いでしょうが、二本目の位取りから明らかに気勢が萎えておりました。張り通す事の難しさではありますが、苦しくとも抜く事は許されません。途中倒れても張り通すのみであります。

六本目の摺り揚げ小手は、明らかに摺り揚げる前に体を捌き、避けに行ってしまっておりました。摺り揚げながら捌き、打つ・・・打太刀の打ちに応じる事が大切です。

小太刀の入り身からの受け流し・・・流す動作は、待ち受けになっては勝てません。先、先、先と懸けて鎬で摺り揚げる所作が必要です。新陰流で言う処の当てる所作が求められます。

地稽古はまずは正面打ちを繰り返して貰いそして切り返しを行いました。大人の稽古に不足する基本打込を先ずは行いました。その後、心行く迄地稽古を行いました。

今回は小生から先を取って、面打ちを多めに打込みました。無論面打ちの地稽古での手本を暗黙の了解の元に示す狙いを持ってであります。打ち其の物もですが、打ちに至る前の攻めも確りと味わって貰いました。どの様に攻められ、崩されているか・・・幾つかの点は感じる事が出来た様でありました。

何時もより少し長めの地稽古の中で明らかに小生の小手に当たった一本がありました。打った相手も打ったつもりも無く、したがって掛け声も無い一打でありましたが、確実に小生の小手にあたっておりました。打つ気のない打ちは一本とは成りませんのでその様な打ちには日頃から無視する処が小生にはあります。

観見の目付で観の目を強くしておりますと打つ気のない打ちには敢えて反応しません。今少し見の目付も強める事としました。彼我共に一本とは思えぬ打ちでもあそこまで当てられては拙いと感じました。見すぎて踊りすぎては無論なりませんが、余りに無視をするのも拙いと感じた本日の稽古でありました。

反省会の折に稽古最後に小生から決められた斬り落としの小手打ちで防具を取った右手に残った打込み痣を摩りながら七段挑戦者が・・・あの小手は何故あたったのでしょうかと不思議そうに呟いておりました。

 

日記