広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

4月最初の土曜日稽古会・・・新年度稽古会開始

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令和四年4月2日、この日より新年度の稽古を開始しました。道場入り口近くの公園はもとより、団地内の桜は満開を迎えております。この日は花冷えといった趣の一日でありました。

二人の若者が直伝稽古に出向いて参りました。スーパーGT開幕戦を控えた小林君はこの日が、平生の道場での稽古始めでもありました。また開幕戦に向けての気入れの稽古会でありました。

齋藤君はこの日と明日の稽古で二か月余りと成る海上勤務に出向きます。時を惜しむ様に着替えも早々に一人遣いに精を出しておりました。

一人遣いの段階で本日は、少し言葉を多めに添えて直伝を施しました。大波小波の打ちの足捌から打ち其の物の次なる直伝を行いました。打ちの中に大波小波の理を確りと理解し、特に二枚腰の使い方、術理を求めての自得を求めて繰り返し遣いを求めました。一朝一夕に出来る事ではありませんが、地稽古で打たれながら味わっている事の自身での実践を求めました。先ずは、基本打込で出来る様に一人遣いを平素から弛まず行うしか術はありません。

坐礼を行い、一人遣いの直伝を先ずは木刀での基本打込で直に物を打つ事での実践で行って貰いました。空間素振りとは又一味違う木刀への打込で、僅かな力みを感じながら力みを取りさるべく、必死に打込んでおりました。二枚腰・・・果てしなく難しいと実感している様でありました。基本稽古で出来る様に成って、それを地稽古で遣える様にする・・・道は果てなく続きます。休んだり考え込んだりしている暇は有りません。行あるのみであります。

兵法では、全体の雰囲気は確かに上達への道を確実に歩んでいる二人でありました。合撃は良き手応えを一本目から感じておりました。しかし最後の合撃では、打太刀の発する気を感じらず、その意図とする打ちに逃げごしと成って仕舞っておりました。先の気が失せて形を納めようとした所以であります。最後まで先の気を維持する気迫が求められます。息を抜く暇など礼をするまであり得ません。

二の斬りは、一本良く冴えをみせておりました。僅かに行き過ぎたのは・・・然程気にする事はありません。先ずは大調子でしかも鋭くです。

中段の確認と伝授を行いました。この太刀は拍子の変化と軽やかさが求められます。ドスン、ドスンではなくパンパンパンと小気味良い彼我一体の遣いっぷりが必要です。

真剣での抜刀では、八重にも十重にも如何様にでも斬り通せる基本刀法の更なる高みを目指して振り抜いて貰いました。二人共に良き刃音が数多く出ておりました。巻藁位であれば見事に切り落とせます。そこ迄には達して来ております。自信を持って更なる精進を求めて行くばかりであります。

防具を着けての地稽古・・・その前の元立への打込では之又打ちに勢いが増してきた二人でありました。元立が打たせてくれれば確りと打てる様には成って来ております。しかし・・・地稽古と成れば、打たせてくれる訳もなく、反対に攻められ、崩され、身動きできなくなり・・・まだまだ成す術も無く、打たれるばかりでありました。時に上太刀と成られて身動き出来なくなるその遣いっぷりが、形の中に有ると気が付いてはいる様でありました。何気ない所作事の中にこの様な術理が秘められていると気が付いた様でありました。さてそれを如何様に対処するか・・・全ては形の中に伝えられております。自身で気が付き、自得あるのみです。

稽古後の感想で攻めが見えなかったとの感想を述べておりましたので、攻めには観えない攻めと見せる攻めが有る事を伝えておきました。・・・いずれ判ります。攻められ、打たれる中である一瞬でハタと感じて気が付く日がきます。その時にはすでにその攻めを我が物としている事でありましょう。その時が楽しみであります。

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