広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

10月第四土曜日稽古会

令和四年10月22日、第四土曜日稽古会を行いました。この日は大阪から野原君がそして我が子が誕生して初めての稽古に小林君が出向いて参りました。共に父親と成った二人との直伝稽古でありました。

急に秋と成り気温の下がってきた今日この頃・・・コロナの第八波も予感される中での稽古会でありました。

共に父親と成った二人が祝いの言葉を掛け合いながら時間を惜しむ様に一人遣いに先ずは励んでおりました。一人稽古の多い野原君には少し言葉を添えて正しておきました。

形の中に編み込まれている何気ない所作事についても遣い方によっては地稽古の中で思わぬ威力を発揮するする事も伝えておきました。本来は自身で気が付く事ではありますが・・・。剣は所詮自得・・・教えられる事をただ待っているだけでは駄目です。

坐礼を行い木刀による基本打込から始めました。剣は基本こそ全て・・・生涯行う基本稽古であります。自身から体を運び攻め込み、打間を我が物とし大調子で正しく打込む・・・そして数歩抜けて行く・・・ただ単調に思えるこの動きに打ちに得も言われぬ手応えが潜んでおります。感じ手に入れるもそうで無いかは自身次第・・・ただ行を積み重ねるのみ。

ただ現在只今出来る事を繰り返しても駄目であります。その気配の観えた小林君に指摘し、僅かでも上を目指す事を厳命しました。彼の場合は先ずは体の運びの伸びであります。体の運びを調えるだけでは稽古に成りません。稽古は惰性では決してない、あってはならぬ。

本伝の太刀を遣い合いました。気の充実と言う点では二人とも良き雰囲気で遣っておりました。ただ何気ないと思える所作事にも深い意味が含まれている事を再認識させました。一知半解では稽古と言えません。文一つに含まれる術理を再認識させました。気を抜いて良い所作など一つもない・・・これが形であります。

抜刀は立合を充分な時間を取って抜き合いました。大阪で一人稽古の多い野原君の為であります。残りの伝授を終えました。斬りを行っても別物と成らぬ様に確りと認識させ、先ずは正しい刀法を遣い切る事を命じました。

締めの稽古であります防具を着けての地稽古では、基本打込の成果が徐々に出て来ておりました。剣は身体を運めねば話に成りません。その点では身体の運びも良くなって来ております。其れに連れて打ちも鋭さを増して来ております。愚直にただしい稽古を積んで行って欲しいと願っております。稽古になると相手の竹刀を力で抑えて打とうとする悪習が観えましたの少しその力を利用してのお仕置き打ちを施しておきました。悪癖となっては大変でありますので。正しい攻め、打ちは誰にでも通用しますが、手癖の悪い打ちは上位者には決して通用しません。思い知らせて置きました。打たれた苦痛に顔を歪めて呻いておりました。

アッと言う間の5時間余りでありました。良き稽古を終えて散会としました。

日記