広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

12月最初の稽古会

12月最初の稽古会を行いました。日差しは小春日和を思わせるものでありましたが、気温は上がらず少々手がかじかむ道場内で有りました。先般からの道場内外での出来事を我が事と捉え今一度気を引き締めての稽古と成りました。非を知り非を認め非を正す修行精進有るのみです。一旦修行に入ったら厳長先生が言われた様に途中で修行を投げ出し止める事など許されるものでは有りません。どんなに苦しくとも逃げ出すなど出来ません。


基本稽古におきましては右太刀の左右の正面打ちはほぼ真っ直ぐの前進の体運びと成ってきました。左太刀の左足前の際に僅かずつ左にずれて行きます。順逆は左右の足を交互に遣う際に如何しても僅かに弧を描いてしまいます。腕操作に連れられてしまうようです。問題点をしっかり認識し正しい遣い方を常にイメージし取り組んでいってもらいたちと思います。花魁の足捌きでは頂けません。返し流しでは前回良き手応えを得ていた相懸けの手応えがやや薄めでは有りましたが暫く続けるうちにカンを取り戻した様で有ります。力を抜く事の難しさであります。無意識で遣える様に成るにはまだまだ時間が必要で有りましょう。打ち留めにおきましてはまだまだ剣先の働きが不足です。拍子の無い位からの打ちに拍子を見出す工夫が急務です。一見無い所の拍子を感じる事です。足への打ち留めの際に元立の太刀筋に手を突込み久々に指に傷をおってしまいました。あたる所のみに気が行き、相手の太刀筋をまったく観ていなかった結果です。余りの痛さと今回起こしてしまった自身の粗忽さが重なり思わず涙を流しておりました。しかし自身の情けなさを涙を流すくらい自身の責任と感じるようであれば二度と過ちを起こす事無くまた負った痛さを忘れずに見事なる打ち留めを身に付けるのは時間の問題で有りましょう。


兵法は珍しく二の斬りが三本とも微妙に違っておりましたが、原因は良く理解しておりますのでこれは余り問題は有りませんでしょう。最後の合撃は大変良き出来で有りました。下からの流れは遣う度に重なってきている事が感じられ頼もしい限りです。大転変13勢法は被せる処がいまだ考えながらですのでぎこちなさが残っていますが、これは数を重ねるしか有りませんでしょう。抜刀の斬り下ろしは自身でも刃音を聞く事ができ感激の様子で有りました。この様な自身で感じる事の出来る感激喜びを今後も少しでも多く得る事が出来るには、はやはり弛まぬ精進を続けるしか有りません。弟子の喜びは師の喜びでも有ります。欲張りはしませんがこれからも少しずつ味合わせて貰いたいものです。