広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

招魂社での稽古会

建国記念日の本日、招魂社にて稽古会を行いました。御縁が有り四月に演武の運びとなり、場に慣れるために前々から一度稽古をさせて頂きたくお願いしておりましたが本日実現致しました。小山の麓にひっそりと佇むその社は先の大戦で失われた尊い御霊を奉り、地域の心の拠所で有りました。社の中は平生の道場の三分の二位の広さで有りましょうか。床板の状態はそこらの武道場よりも心地の良い物でありました。また天井の加減で有りましょうか、踏込み足及び竹刀を打ち合わせるその音の何と気持ちの良い事か!その響きの心地よさに一同感激で有りました。道場内での音に感激しましたのは学生時代に山口の旧武徳殿で稽古した以来では無いでしょうか。山口の武徳殿は床板の響きが素晴らしく、今だあの音の心地良さは記憶に鮮明に残っております。招魂社のそれは社全体が共鳴するような心地よい音で有ります。何時までも何度でも稽古していたい気持ちに成りました。音というのも稽古には大切であるとあらためて感じた次第であります。


演武当日の場内の様子を想像しながら先ずは入退場を伴った礼法から行いました。板の間全体を使えれば問題は無いのですが少なくとも場の半分は参拝者が占めますので、宮島厳島神社の祓殿で行うより少し手狭に遣わざるを得ませんでしょう。数回礼法を確認し基本稽古及び兵法に移りました。稽古はまずは全体を有効に使い、次に場の半分で遣い合いました。その後いま少し手狭の状態でも遣って見ました。左右の展開の際に窓ガラス、柱、額等に竹刀が当たってしまう危険性も充分確認出来ました。少し本来の遣い方を場に即して変えねば成りませんでしょう。その点を考察している小生に分を弁えず差し出がましい言葉を投げかけるたわけ者が有りましたので、初めての場では有りましたが容赦の無い罵声を浴びせる結果と成りました。社の神様もさぞやびっくりしたと思いますが、なんと心地よく声が響いた事か!大馬鹿者の性根に否応無く沁み込んだ様で有ります。その事で場は締まり、後は何事も無かった如く充実した心地よい稽古に終始する事が出来ました。


合撃の冷やりとする快感にも初めて遭遇する事が出来、その心地よさにはまりそうな予感一杯の誰かさんで有りました。ますます合撃の面白さを実感出来た様であります。今回は兵法にみで終了する事も考えておりましたが、あまりに心地よい雰囲気でありましたのでこれは是非抜刀も行わねばとの考えに至り、最後に抜刀を抜きあいました。心洗われる様な稽古を行う事が出来ました。今後も度々この場で稽古が行えればとの心持を強くし社を後にしました。