広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

四月博多定例稽古会

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四月博多での定例稽古会を行いました。博多での稽古会も今回で丸六年が経過致しました。月日の過ぎ行く事の何と早い物で有りましょうか。亡き延春先生のお導きではからずも始まりました稽古会では有りますが、この御縁を絶やす事無く続けて参る所存で有ります。道中の道すがら山々を眺めて参りましたが昨年までとは風景の様子が違い、今年はいまだ新緑とは言いがたく、何やら緑がくすんでいる様に感じられました。昨今の天候不順のせいで有りましょうか。鮮やかな新緑は今しばらく時を待たねばならない様で有ります。


此処暫く演武の際に履く足袋に慣れさせるために常に足袋を使用しての稽古で有りましたが、今回は基本稽古から平素の通り素足に戻しました。やや広めの道場を思う存分使用し、息の切れるまで打込みを行いました、。鼻の通りが悪いせいかはたまた此処暫くの基本稽古の不足に由るものか息の上がるのが早かった様で有ります。


その後今回はやはり演武の為にややお留守に成っておりました抜刀から行う事としました。今までは特には意識させておりませんでした斬り下しの際の丹田の締めに重きを置き、繰り返しその感覚を摑ませました。ある程度その感覚を摑む事による刃音の変化に驚きながらも新鮮な感動を覚えた様で有ります。その後立合を中心に時間の許す限り抜き合いました。


兵法は本伝の太刀のみを遣いあいました。合撃は何故かしら下からの方が良き手応えで有りました。また何かを引きずっているのかも知れませんが暫くは本人の自覚に任せましょう。所詮自得しか有りませんから。下からの二の斬りの踏込みがやや不足気味で有りました。今少し思いっきりの良い鋭い物が欲しいと思います。同じような左転の体捌きの踏込みも今少しの大きさ強さが欲しいと感じました。九箇は途中で気が萎えておりました。やはり一本目から九本目までを通して打ち切ると言う事が大切で有ると思います。難しくとも精魂尽き果てるのは九本総て打ち切った後であります。何とか気を続かせる工夫気迫が必要で有ります。


丸六年になる博多の稽古を遣り終える事が出来ました。来月からは七年目が始まります。何処までも今後も不退転の気概でこの博多の稽古会を続けて参ります。安易に流れる事無く万障繰り合わせて参加下さい。