広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

招魂社奉納演武

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招魂祭におきまして奉納演武を行いました。明治以降戦禍を被り護国の神となられた方々の御霊を慰霊する場での演武の機会を与えられ会員一同感激の極みでありました。博多から大坪氏,大阪から野原君も駆けつけ神様の前での演武に精魂を傾けました。当日は良き天候に恵まれ境内の葉桜にならんとしている桜木の新緑も鮮やかに清清しい雰囲気に包まれておりました。道場作りの社の中には遺族会の方々をはじめ関係者の方々が着席され,少し手狭な場の中での演武となりました。各人には一二度それぞれに場を経験させておりますので前日申し伝えた通り,己を尽くす事に集中する様に今一度申し伝え場に臨みました。


入場口から入場し床を踏んだ瞬間に稽古の折よりも滑りやすい事を感じました。おそらく本日の祭りの為に床を磨かれたので有りましょう。足袋を身に着けての使太刀の遣い難さに思いを馳せましたが彼らの奮闘に任せるしか有りませんので祈るような気持ちで神前に進みました。立礼から立位置を移動しての座礼に移りましたが,あれだけ事前に準備をしていたにもかかわらず流れを乱す者が有りました。個々の学習能力の違いを覚えずにはおれませんでした。神前でなければ厳しい罵声を浴びせた事でありましょう。その為か三学が始まった時には少々場がざわついておりました。しかし勢法が進むに随いシーンと場内に緊張感が高まって参りました。長短一味に至る頃には打ち手と観衆の一種の一体感が生まれておりました。嬉しい事でありました。勿論使太刀にはそれを感じるこころの余裕はありませんでしたでしょう。滑る床での二の斬りに体勢を整えるのに四苦八苦しておりましたから。八勢,中段は課題を貰って帰る事の多い物と成りましたが,ここは欲張らずポイントを絞り今回の演武の総括とするべきでありましょう。この様な場で与えられた課題は確実に消化出来,身に付く事が多いのですから。彼らも緊張感の中で何とか勢法を打ち切りました。しかし最後の座礼でまたしても乱れたのは強く反省を求めます。愚か者とは判ってはいるが大概にしなさい。


演武を終え境内で記念写真をとっておりますと遺族会の方々が寄ってこられ(剣の事は何も判りませんが,姿勢の良さと竹刀を打ち合わされる音の良さには感動しました)と仰って頂きました。礼法勢法の乱れ未熟に少々おかんむりの小生で有りましたが,救われる心地が致しましたし,あり難い事であると強く感謝を感じました。何はともあれ無事終了し,御縁に感謝の一日でありました。