広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

七月最初の土日稽古会

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七月最初の土日稽古会を行いました。先週,宮島厳島神社の演武に対する締めの稽古を終了してからの最初の稽古会であります。各人に演武DVDを渡しておりますので何度も自身の有り様を確認してからの稽古会でありました。いまだ自身の評価されない言動の未練がましい言訳の類を完全否定し消し去る為の基本稽古(打込み)から行いました。ほぼ一時間,蒸し暑いこと極まりない道場で流す汗は心身の邪念を完全に流しだしてくれた様であります。疲労困憊の様子とは裏腹にその顔は久しく観た事のない爽やかな物になっておりました。迷い邪念を祓うにはやはり稽古しか有りません。稽古から逃げては得る事も気が付く事もありえません。苦しくとも悲しくとも情けなくとも稽古で解決してゆくしかないのです。心身学道です。ともすると何かのせいにし理由を付けて稽古から逃げてしまう者には例え何十年経っても真に得る物は何も無く,ただ上っ面に流れてしまうのみです。剣の本当のところは何も分からずにその生涯を終えてしまうだけです。楽しい時も悲しいときも苦しい時も何時もの如く稽古は弛まず行うのみです。


サッパリとした処で暫し汗の納まりを一服のお茶で待ち,抜刀を開始しました。道場の床が酷い湿気を含んでおりましたので今回は居合は行わず立合を行いました。抜いてしまえば兵法と言うところの概念を今一度確認しながら抜いて備え,正しく斬り,留め,捌き,納めると言う事を各人しっかりと行って貰いました。納刀がスムーズないなってきた者はやはり抜きも良くなってきております。相手がいない難しさも少しずつ感じて着ている様であります。抜刀は常に勢法を打つ様に行えねば駄目です。踊りに堕しては意味が有りません。


兵法は本伝の太刀と試合勢法を時間の許す限り行いました。演武で得た神様からの言葉をしっかり各人各様に噛み締めながらの遣い様で有りました。出来の悪さにうちひしがれていた者もその前後では出来に明らかな違いが出ておりました。その場の出来が芳しくなくとも心して取り組めば必ず良き成果が出てくるのが演武です。やはり数年に一度は場を設けねばと強く感じました。文の斬り,二の斬りに今一つの上達をみれば下からも充分に神前で打てる手応えを感じさせる者もありました。又暫く遠ざかっていた試合勢法に思わぬ進歩を見せる者もあり,少々驚きを覚えた一日でありました。