広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

三月博多定例稽古会

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三月博多定例稽古会を行いました。朝からの雨は一日中降りや止む事は有りませんでした。次第に春が近づく気配を感じる昨今であります。この日の道場は何故にか弱暖房が効いておりました。此処で稽古をする様になって始めての事ではなかったかと思われますが,肌寒いとは言いがたいこの日の弱暖房は呼吸法においては大変息苦しい結果となりました。皆呼吸を整える事に四苦八苦しておりました。打込みを始めるとみる見る顔が赤く成った市原さんの表情が印象的でありました。


基本稽古におきましては先週の広島での出稽古で良き働きが出てきておりましたので更なる物を引き出すべく元に立ちました。正面はかなり拳の下がる悪癖は正されてきております。課題は順逆であります。これも良く成ってきておりますがともすると打ち(たたき)に気が行過ぎて体が遣えず手打ちになり,太刀筋が乱れてしまいます。剣はやはり体捌きです。何処までも正しく体を捌く事に集中するべきです。遣えない物が遣える様に成る喜びはもう味わっているのですから。それから之もまた課題の一つですが体を正しく運ぶ事にも気を配って欲しいものです。道場を往復する間に少なくとも二メートルは左に移動してしまっております。毎回例え一センチでも正す気迫を求めます。


兵法は前回で何とか覚えて貰った三学,八勢を遣いました。三学の手順はほぼ宜しいでしょう。八勢も時に流し返しを混同する時は有りはしますが何とか手順は物にした様であります。混同するのは頭で考えるからです。流れの中で無意識に遣える様に今後は目指すべきです。所詮無意識に遣えねば役には立ちません。先輩は前回よりは良い動きを見せておりました。やっと蟹の呪いから解放された様であります。しかし二の斬りが時としてぶれるのは打とうとし過ぎるからであります。付け打つ意味を今一度良く考える事です。その後九箇,下からと遣いました。村雲はあくまでも合撃です。見すぎては打たれるのはあたりまえです。痛い思いをして何とか理解し直した様で有ります。どうも思い違いと称して御馬鹿な一人善がりをする癖は芯からは中々抜けない様であります。やはり二年の過去の経験のせいでありましょう。


最後に前回は割愛した抜刀を時間まで抜き合いました。今回は次の団体がひかえておりましたので少し余裕を持って稽古を終了しました。その分ロビーでお茶をしながら反省会の意味での歓談を致しました。皆夫々の良き手応えを得る事が出来た稽古会で有りました。