広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

博多新年稽古会

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博多での新年稽古会を行いました。市原さんにとりましては先週の広島の新年稽古会に引き続いての稽古会となりました。この稽古会を終えて来週からは昨年から予定されておりました目の手術に入りますのでしばらくは稽古とはお別れであります。二ヶ月ちかくは激しい運動は出来ない模様と言う事でありました。心残りの無い様に時間の許す限り皆で遣い合いました。この時期の早良区の剣道場は弱暖房が入っているのですが何故にか本日は入っておりませんでした。その分確りと稽古で身体を温め続ける事としました。


先ずは五月よりは広めの道場の端から端までを遣い、確りと打込みを繰り返しました。全体稽古に入ります前の一人遣いを観ておりますと先週の広島への出稽古から一週間しかたっておりませんが日々努力している様子が良く見て取れる物でありました。打込み稽古でも毎回何らかの進歩は見て取れます。勿論腕に頼る遣い方の本質が総て改善されてる訳では有りませんが少しずつ良くなってきております。しかし元立に向かうと如何しても腕だけで強く打ちたくなるようで有ります。之も又相手に対しても身体全体で遣えるようになるまで何処までも打込みを続けるしか有りません。言葉や理屈は無用です。ただ行を積むのみです。逆勢は可也良くなって参りましたが順が如何しても太刀筋が乱れ、手首で竹刀を振り回して仕舞います。之も又正しくよりは強く打ちたいと言う欲の現れで有りましょう。剣は何処までも正しさを求めねば駄目です。まずはゆったりと正しく使い切る事からです。返し流しの体捌きは僅かずつですが体も真っ直ぐに運べつつ有ります。何処までも精度を高めて行って欲しいものであります。先輩は遠征の疲れと抜けきらぬ風邪の影響で有りましょうか少々ヘタバルのが早いようで有りました。しかし返し流しの拍子は心地よい音と共に良いものでありました。


兵法にはいりまして先ずは三学を皆で遣い合いました。合撃は可也コツを掴みつつ有る様です。按ずるより産むが易しとでも申しましょうか頭で考えては途方もなく困難に思えることも打太刀に導かるままに無心で立ち向かえば何とか成るもので有ります。後は相手の呼吸にもっと気を配り、遅れにように成らねば成りません。之は勿論見るではなく良く観る意外に方法は有りません。八勢も可也それらしく成って参りました。先週の稽古でコツを掴んだ疾雷刀も少しずつそれらしく成っておりました。剣の世界では苦手を苦手のままで置くことは許されませんので他の物と変わらず取組んで行ってもらわねば成りません。中段は伝授した九本目までを遣って貰いまいしたがまだまだ手順でオロオロする処が有りました。覚えてからが真の稽古です。もっと自分に厳しくあらねば駄目です。自身の物覚えの悪さを年のせいや他せいになど勿論出来ません。努力はしていることは判っておりますが手順如きで足止めを喰らってどうしますか。まだまだ頑張れと言う事であります。先輩は先週の見事すぎる合撃の手応えとは無論行きませんでしたが、逃げたく成る気持ちには確り立ち向かっております。其処の処の行は成ってきた様です。良き事であります。


その後本伝の太刀を二本遣い、抜刀を抜き合い、時間一杯まで行いました。今回は開始が通常の一時ではなく三時からと言うのを受付に行くまで完全に失念しておりまして終了が七時と成ってしまいました。人の事は言えません。小生ももっと気働きを強くせねば成らない年齢に成って来たようであります。反省。其のために稽古後は食事をしながら反省会を行うのが常でありますが今回はその時間もなく急ぎ帰路につきました。