広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

宮崎遠征

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宮崎遠征を行いました。これは六月の博多稽古会に沖縄遠征からトンボ帰りで駆けつけ参りました甲斐先生の情熱に対する返礼の意味も込められております。何時もの博多稽古会の様に車で出掛ける事としましたが、生憎と九州地方は数日前から大雨で、熊本大分と大変な被害が出ておりました。道中の心配がありましたが決行致しました。前日までの高速道は通行止もなく雨の影響は自動車道には及んでおりませんでしたが、当日出立して程なくナビが福岡方面の通行止をキャッチしました。北九州で進路を東九州道に変更しましたが、どこぞのタレント知事が嘆いていたようにこれが名ばかりの自動車道でありまして程なく一般道に成ってしまいました。それから延々と国道を走り、目的地の宮崎延岡に到着しましたのは出立してから八時間半を経過しておりました。車での遠征では最長の時間を要した遠征と成りました。宮崎延岡は正しく陸の孤島の感を持ちました。それにしましても六月の博多稽古会と言い、今回の宮崎遠征と言い甲斐先生との御縁には当初から大雨がついて回っております。最初に何某かの困難がついてまわっている事は反対に(天の將に之を与えんとするとき先に之に苦を与える)と言う中国の故事を思わずにはおれません。甲斐先生とのご縁は何やら大きな物に繋がる予感が大であります。


延岡に到着しまして程なく征武館道場を訪ねて参ました。道場は旧延岡城の城内に位置し、大手門が近くにあり、隣地は旧延岡城藩主内藤家の陵墓でありました。正しく城守墓守の感を称えた、武の修行の場としましては申し分のない環境の道場で有りました。24時間鍵を懸ける事のないその道場に40人を超える御門弟が自身のペースで時間を気にすることなく集って来ると言う事で有りました。羨ましくも目標とする環境で有ります。


その道場で今回、甲斐先生と代稽古をする御門弟との伝承稽古をするつもりで有りましたが、事情により甲斐先生への直伝稽古となりました。勿論当方の修行である事も当然であります。二日間存分に遣い合いました。猛暑の延岡で流す汗はその道場の環境もあり又求め合う情熱もあり、とてもクーラーが無い場で流す汗とは思えぬ清々しい物でありました。伴の者も二日間の稽古で疲労困憊の様子で有りましたが甲斐先生への伝承に借りてのこの者への伝承でもありました。良き御縁で当方も思わぬ伝承の機会を作って頂いたと感じております。この良き御縁を大切に育んで行きたいと感謝の気持ちを大にして宮崎を後にしました。