広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

八月二度目の宮崎遠征

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お盆休み前半を遣っての宮崎遠征を決行致しました。これで六月の博多稽古会から三ヶ月連続の甲斐先生への伝承稽古と成りました。前回は九州地方大雨の中の移動で途中、北九州から一般道を使いましたが今回はナビの進めるまま高速道路を行きました。しかし延岡までは高速道路はいまだ全線は通じておらず、やはり最後の数十キロは一般道を走らざるを得ませんでした。結局前回よりは30分早く着いたのみで有りました。・・・・・絶句


今回はお弟子さんの一人を必ず同席させることをお願いしておりました。現在はイタリア在住のお弟子さんがお盆の前後のこの時期に毎年ほぼ一ヶ月帰省されると言う事で今回の同席と相成りました。子供の頃からのお弟子さんで20数年来の征武館の直弟子の一人で有りました。現在イタリア支部の指導者を務めているようでありました。その方を交えて四人での稽古を二日間、前回よりも時間を使いまして許す限り行いました。今回も一階を遣いましてその他の門弟方々には前回同様に二階を遣って頂き自主稽古をお願いし、他の者の同席はご遠慮頂きました。甲斐先生にはお弟子さんを相手に少し遣っていただき、小生がいないときの平素の工夫をお願いしました。今回は通し稽古を充分に行うつもりでありましたがやはりそれは早計と言うものであり、結果的に二本目までを繰り返し行なう事と成りました。お二人と同席の弟子共々、少しづつ判ってゆくところに楽しさを感じているようで有りました。それにしても愛弟子の今回の出来の悪さ・・・・・長い道中の疲れに完全に負けておりました。しかしそれもまた永き修行の中では大切な経験と成りましょう。やり遂げた事で良しと致しましょう。


数回の出稽古で済むとは思ってはおりませんでしたが、宮崎との御縁は始まって仕舞ったと言う事であります。求める気持ちが続く限り無理にでも時間を作り再三訪れることに成るのでしょう。それが武の御縁と言うものであると思います。こちらから絶ち切る事は断じて有りません。


前回甲斐先生を通じてお願いしておりました樫、山枇杷、本枇杷の木刀が出来上がって来ておりました。勿論宮崎は都城の作りで有ります。日本の木刀の九割以上を作ると言われる一大木刀の産地が都城であります。木刀の最高峰と言われる枇杷の光沢は格別の光沢を放っておりました。これで愛弟子の手にも渡りました枇杷の木刀を遣っての燕飛の太刀を宮島で演武する日も可也近づいたと言う事であります。之も又武の御縁の続きと言う事でありましょう。有り難い事であります。


宮崎を後にする際には共に稽古を行った面々での会食を行いました。武道の話を中心に四方山話に花を咲かせ楽しい時間を共有し宮崎を後にしました。道中思うのはやはり・・・・高速道路の早期全線開通でありました。・・・・。