広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

国際武道合宿講習会での演武

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延岡での演武に出向いて参りました。今回は総合武術の道を目指す日本武道院征武館の世界大会として執り行われました国際武道合宿講習会の最終日に行われました招待模範演武でありました。三日間に及ぶ合宿講習会の最終日に18流派の実質トリを務めさして頂きました。世界各地で其々の想いで武道に取組む者達がその神髄を求めて延岡の地に集い、元気一杯の演武を繰り広げておりました。流派、国は違えどその武道に対する熱き思いは小生の心にも強く響いて参りました。


前日の各国の指導者を交えての歓迎会からの参加で有りました。英語圏は無論、デンマーク、イタリア、スペイン・・・通訳なしでは会話が成り立たない状況で有りましたが、そこは世界各地に展開する征武館の事ですから通訳に事欠くことは有りませんでした。彼らの興味は流派に対する物よりは武道の剣の根幹に関わる事柄で有りました。その点は正直驚きもしましたし以外で有りました。しかしながら又嬉しき出来事でも有りました。特に小生の隣に座っておりましたデンマークからの修行者の質問攻めには少々難儀致しました。(あなたの師の許しを得ずに、全ての質問にお答えする事は出来ない)と前置きした上での歓談と成りました。そしてその熱意に応えるべく、次の日の我らの演武を観ての只一つの質問を許しました。


演武は三月にお邪魔しました延岡武道祭と同じ会場で有りました。畳と板の間の配置もほぼ同じで有りました。これならば特に礼法から演武に入る状況は打ち合わせする必要もないと感じました。・・・・・が、それは小生の大変な思い違いでありました。何せ相手はあの廣川君であります。立礼から左右に別れて立合の間に進むはずが背後霊の様に小生の後に付いて参りました。それからの流れは其処は流水の動きを身に付けている廣川君ですから、観ている者達に何ら違和感を感じさせる事は有りませんでした。……絶句。三月は三学、燕飛と遣いましたが、今回は時間は充分にお遣い下さいとの事で有りましたので、二部形式を考えておりましたが廣川君の体調を考量しやはり一部で気一杯遣い切る事としました。しかし内容は直前に間に九箇を入れる事にしました。心気力が続くか心配顔の廣川君で有りましたが、途中倒れても良いと叱咤し演武に入りました。


体調、場の雰囲気等色々な事柄が作用したようでまるで水の中にいる様な感覚に成ったと感想を述べておりました。しかし先生の顔だけはハッキリと見えていましたので、其処に集中したおかげで目線を外す事は有りませんでしたと申しておりました。何時もは気に成る観客席の様子やらは全く見えておりませんでしたとも述べておりました。何時に無い感覚を味わえた様でありました。良き事で有ります。途中、立位置を見失いながらも必死に打太刀に集中し遣い切る事が出来たようでした。その様な気の高まりは無論燕飛の浮舟に集約され、爆発呼吸を持って遣い切る事が出来ました。見事に打ち落とした一刀両段の太刀筋は見事でありました。双方の気の高まりで手裏剣打ちの速度が倍速と成りましたので少し指に懸かった様で、薬指は腫れあがっておりました。しかしこれもまた良き想い出と成りましょう。本人は個々の僅かに納得行かぬ遣い方と指の痛みに涙しておりましたが、場を去る時に大勢の外国の修行者が感激の面持ちで駆け寄ってきて、口々に感謝と感激の言葉様子を発しておりました。それが今回の演武の全てと思います。個々の遣い方に一喜一憂するなと常日頃諭している意味を今度こそ沁み込ませてくれたのではないでしょうか。稽古も演武も只気一杯遣い切るのみで有ります。


夜は来賓も含めて全員参加の懇親会(うちあげ)で有りました。甲斐先生の音頭で余興が延々と続き、最後はお決まりであろう全員参加の踊りで有りました。今回は演武は勿論ですが師弟共々甲斐先生の古希を共に祝いたいとの思いで有りましたので会場一体となってのお祝いは嬉しい物でありました。しかしまさか小生の還暦を共に祝って貰えるとは・・・・・なんとも驚きで有りましたし、感激でありました。征武館生と甲斐先生に感謝感謝であります。


一つの目標を確りと終え、来週から廣川君の第六クールの戦いが又始まります。今回の演武に向けての過程、演武、そして色々な人達から頂いた想いを一身に受け止め確りと戦い抜いてくれると信じております。そして一日も早い稽古復帰をせつに願っております。