広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

八月最後の稽古会

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八月最後の稽古会を行いました。昨日は台風の影響を考え稽古は休みとしましたが、本日は無事に行う事が出来ました。雨は多少降ってはおりましたが、御蔭であれだけの猛暑は影をひそめておりました。しかしここ数日の大雨の影響で道場の床は確りと湿気を含み、足袋を付けても摺り足がし難い状態で有りました。皆それぞれに全体稽古の前に一人遣いを楽しんでおりましたが、ゆったりと遣いながらもその湿気でもうひと汗かいておりました。八月最後の稽古を先ずはきほんの打込みから確りと楽しむ事としました。


前回張りきり過ぎた?好美君は腕関節のシコリが気に成るのか入門当初を思い出す如く、ユッタリとしたそれを臨んで参りました。鋭く打ち込めるように成っている昨今から少し物足りないかと思っておりましたが、案外に本人は其れなりに楽しんで体力呼吸の続く限りに繰り返し続けておりました。自身の心身と会話をしながらのユッタリとした打込みは又楽しい物で有ります。小林君の打込みは反対に少しユッタリめから自然に鋭い物に成って参りました。これはこれである種の熟成を感じる良い感覚で有りました。今後は一本一本の打間を精密にしてゆく事が求められます。


兵法に入りまして先ずは三学を皆で遣い合いました。ここでは入門して三学を授けられてから初めてと云って良い事を好美君がやってのけました。それは・・・・右旋左転の欠く拍子から突然に長短一味の迎えに入って仕舞いました。・・・やはり28日のPETCTの検査結果に気が行き過ぎた為で有りましょう。稽古では常に現在只今に集中し気一杯で遣えと指摘しておりますが、やはり常にそうは行かぬのが人で有ります。初めての現象に狼狽しながらもその後は取り返す如く遣っておりました。過ちて改めざる之を過ちと云う・・・・・それで良いのです。決して一人では有りません。皆で有るがままを受け入れながら戦い抜くのみです。相手の働きに連れ従いながら勝ちを取る・・・・必ず勝つのです。


その後は何事も無かった様に復帰後はじめて九箇そして燕飛を遣い切りました。浮舟の打ち落としにいま少しの工夫を求めました。宮崎演武から心に少し引っかかっていた事柄に光明を観た様で有りました。良き事であります。小林君には八重垣を伝授しました。趣きの違う九箇の太刀に四苦八苦の状態で有りますが、理解が進むに従ってその面白さにも自然に目覚めて来る事でありましょう。


最後に抜刀を抜き合いました。竹刀木刀では振れていたつもりが真剣では体のバランスを崩してしまう・・・・真剣を振る事の難しさ・・・しかしその楽しさを感じながら、時間の許す限り振り合いました。帯を付けていない先輩も一人、鞘を払い、鏡を相手に愛刀との一時を楽しんでおりました。行く時を惜しみながら・・・・。