広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

九州遠征

イメージ 1

延び延びになっておりました夏季遠征を執り行いました。夏季とは言え季節は最早初秋になってしまっておりました。何とか皆の都合が合う日程を調整しての決行で有りました。都合を調整したつもりで有りましたが、自己管理の未熟な者の為に急遽欠員が出てしまいましたが、構わずに執り行いました。目指す地は二年前にもお世話に成りました由布院であります。道場はその時にお借りしました由布院中学校の剣道場をまた遣わせて頂きました。校舎は建て替え中でありましたが、辛うじて剣道場の使用は可能で有りました。これも来年には新築されると云う事で予定がたてば来年の遠征も是非この地に出かけてみたいと云う希望が有りました。


道中一路由布院を目指す処で有りましたが、途中に我が故郷があり、如何しても寄ってみたいとの希望が数年前から有りましたので立ち寄りました。写真が我が故郷の庭(魚楽園)であります。国の指定文化財でありまして僧雪舟の作で有ります。小生が幼少期を過ごした処であります。家屋や庭を楽しむ前に庭を見下ろす小高い処に位置します我が家の墓所・・・其処に眠る両親の墓前に皆を案内し、廣川君が用意してくれた花を手向けてお参りを致しました。手向けるお経は無論、延春先生直伝の般若心経であります。これは母が他界したおりに先生が唱えてくれた事に由来しております。その日から19年朝夕、仏壇の前で合掌して唱える日課と成っております。


故郷で思わず長居をしてしまい、由布院を目指しました。道場のカギをお借りする河原精肉店に到着しましたのが当初の予定時間をオーバーしておりましたのでその日は宿でゆっくりと過ごす事としました。無論河原さんの自慢の鳥の空揚げは確りとゲットしていた好美君でありました。この様なところには決して隙を見せない先輩で有ります。しかしその他の事も抜かりなくやる事はやる物であります。露天風呂のスズメ蜂騒動では旅館を大騒動させ、深夜に徘徊して寝ている物の足を踏んで回り素知らぬふりをとおしたり・・・・やってくれます(絶句)。


確りと由布院の温泉ライフを楽しみ、宿を後にして道場に向かいました。二年ぶりの道場は変わらぬ姿で皆を向かえてくれました。まだまだ解体されるのは勿体ない気もしましたが、我らに取りまして最後に成るであろう床の感触を確りと楽しみました。長年遣い込まれたその床は絶妙の感触でありました。踏み込んだ感触、響きその雰囲気は皆生涯忘れる物ではないと思います。


良き雰囲気に触発されるように打った皆の三学、九箇は其々に今までにない最高の境地を即発しておりました。永原君の三学は宮島演武を経てこの地で確実に昇華されておりました。まさしく学生から大人社会人への脱皮の瞬間でありました。初めて遠征に連れて来た甲斐が有りました。そして問題の・・・先輩の八重垣のクネリ打ちは初めて手元に刃風を感じる見事な物で有りました。今まで何となく毛嫌いして、何時も満たされない物を抱えていたクネリ打ちが無心で飛び出した瞬間でありました。作為しては出来ない物がやっと手に入った瞬間でありました。


行く時間・・・この道場での最後の時間を惜しむ様に皆で真剣を抜き合い、稽古終了としました。得がたき感触を其々に手に出来た良き遠征となりました。


遠征の出発に先立ち、永原君には初めて遠征に連れて行く趣旨を伝えておりました。この四年めにおいて今まで稽古において又稽古後の反省において小生が伝えてきた事の実践を求めておきました。僅かながら実践出来ていた事も無論有りましたが、場面場面で石の地蔵さんの様に如何してよいか判らずに固まって仕舞っている彼が有りました。まだまだ彼の修業は始まったばかりであると感じた遠征でありました。時に厳しく、しかし待つべき時には焦らずにその熟成を待つつもりであります。