広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

五月最初の日曜稽古会

昨日に引き続き日曜稽古会を行ないました。この日は長い連休を経て、永原君が出向いてまいりました。正月以来の帰省を終えて、英気充分な様子で、剣道着に着替えるのももどかしそうに、早速に一人遣いを楽しんでおりました。木刀でユッタリと道場一杯を遣いながら黙々と繰り返しておりました。その様子を眺めながら、よくぞ此処まで木刀を長く遣えるようになったものだと感心しきりの小生で有りました。後は小生相手に同じように遣えるようにするばかりで有ります。
基本稽古に入りまして、まずは竹刀で何時もの如く、正面、順逆の左右太刀を繰り返し行いました。一人遣いだとそれなりに出来る様になって成っている事が、元立相手になると途端に太刀筋が乱れて参ります。何も言わずに確りと汗を掻かせましたが、自身でより気が付かせる為に途中から木刀にて行わせました。初めての命令に仰天しながらも、早速に自身の太刀筋の乱れに気がついた様で有りました。木刀を打合せるその感触、音そして時に痺れる手の内に驚きながらも必死に打ち込んで参りました。良き経験であったようです。
兵法は三学、九箇、小転と遣い合いました。今回は連休明けと言う事もあったのでしょうか、良い時の踏込み、そこからの勢いのある連動に少し不満の残る物が有りました。何となく繕っている様子が感じられました。これでは所詮踊りになって仕舞います。この様な気持ちで演武に臨めば演舞にしか成りません。場に臨んでは礼を失する事になります。勘違いをせぬように確りと指摘し正しました。形稽古は形をなぞっても稽古には成りません。ただ気一杯で遣い合うのみであります。気を燃やし必死に遣わねば剣の修行には成りえません。小転はまだ覚え始めですから致し方ありませんが、三学はそうは参りません。確りと内に燃えるものを持って臨んで欲しいと思います。
最後に抜刀を抜き合いました。此処でも平素ではあまり目立たない手の内の力みが納まった処で出ておりました。要らぬ力みは剣先の乱れとなって出てきます。自分とのやり取りを確り行うように指摘しました。
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