広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

12月今年の稽古納め

令和五年12月23日、今年の稽古納めを行いました。大阪から野原君の出向いて来るこの日に行いました。齋藤君は、海上勤務の為に今年は参加出来ませんでした。残念ですが致し方ありません。

冷気に満ちた道場での納めの稽古会でありました。寒さを吹き飛ばす様に皆夫々に先ずは一人遣いで身体を温めておりました。今年一年,目指してきた夫々の課題を確り自覚しての一人遣いでありました。形の単なる手順は、傍において、剣の根幹に関わる点に焦点を絞り、取組んでおりました。この姿勢が剣の修行では生涯求められます。

坐礼の際には、今年を振り返っての訓示を述べ、更なる精進を共に重ねて行く事を求めました。師弟同行が剣の修行の根幹であります。何方か一方では駄目であります。

木刀による基本打込では、踏込みの際に体が沈む癖が未だに解消されていない者がありました。軸足の充実を求めました。之は皆に共通の留意点であります。一見沈まなくとも軸足が活きてなくては成りません。常に効いている・・・これが大事であります。特に地稽古では之が効いていなくては、攻めが効きません。

打込みの際に拳が下がらぬ様に・・・特に古流と称する者に有りがちですので、役に立つ打込みを求めました。只古いだけで現代に役に立たぬでは駄目であります。

手の姿、手の内の柔らかさを強く認識させました。ゴツゴツとした手の姿、手の内では、所詮物の役にはたちません。どこまでも柔らかさを求めて遣う事を命じました。

足捌きの滑らかさ、軽やかさ・・・剣は足捌きが生命線です。精密な足捌き何処までも求めて行く事を厳命しました。

今年最後の本伝の太刀を今年一年の想いを込めて遣い合いました。新陰流で最も大切な太刀・・・生涯必ず毎回稽古で遣い合う太刀に己の全てを込めて遣い合いました。打ち合う度に必ず何某かの新鮮な気づきが貰える・・・有り難い事であります。

剣道形では新陰流の理を確り認識し、別物に成らぬ様に遣う事を厳命しました。手順を覚えて来るに従い、少しずつ術理を理解して来ております。精密とは程遠い現実ではありますが、薄紙を一枚一枚重ねて行くが如き修行を重ねて行くだけであります。先ずは新陰流の木刀より重く太いその得物に慣れ親しんで行く事であります。振り込んで行くしかありません。

今年最後の道場での真剣の振りを皆で心行く迄振り込みました。心地よい刃音を求めて正しい太刀筋で、何処までも足腰刀の連動を求めました。

単なる手順を覚える事を修行、上達と勘違いする事無く、根幹の太刀筋を何処までも求めて振り抜いて参ります。一刀両断の自身の人中路を斬り通す太刀筋そして順逆の太刀筋・・・最も大切なこの三つの太刀筋の精度を求めて振り込んで参ります。続く・・・