広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

六月最後の稽古会

六月30日日曜日、六月最後の稽古会を行ないました。早いもので今年も半年が過ぎて行きました。皆其々の業務、生活をこなしながら本日も出向いて参りました。月一の関戸君もやる気満々で、ストレートパーマをなびかせて颯爽と登場でありました。次に到着した永原君と一月振りの挨拶を交わしながら、土産交換を行っておりました。永原君は英信館演武の際の土産を求めて来ていた様で有ります。彼もまた着実に大人の社会人、剣道人への道を歩んでおります。先に到着した者から自身のペースで一人遣いを何時もの様に行っておりました。
 
参加予定の者が何故か遅れているようで有りましたが、定時となり稽古を開始しました。今現在各人に求められている事を感じ合いながら打込みを繰り返しました。体を真っ直ぐに運びながらの正面、順逆、これが簡単なようで中々皆、苦労しております。無論求める事が、高く成って来ていることも一因ではあります。踏込みの強さだけを求めて体の出が不足する事も多々見受けられました。一つが気になると一つが抜ける・・・・更なる高みを目指して弛まず精進あるのみであります。体捌きに鋭さを求めると体がブレ気味に出て参ります。これも又一人遣いで身に付けつつ有る、正しい体捌きを信じて夢中に遣い合うのみで有ります。流した汗が裏切ることは断じて有りません。関戸君の打ちは、まだまだ手が先走ってしまいます。先ずは発作を起こしたような手の先走りを自身がコントロールする事に集中する時期であります。それぞれの課題を確りと認識しながらこの時期特有の大量の汗を流しながら基本を終了としました。
 
冷たいお茶で喉を潤していると、今一人の参加予定者が息せき切って駆け付けて参りました。何故か最早疲労困憊の様子を呈しておりました。何時もは一番に求めるくる三学も本日は男集に先を譲っておりました。
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その気に感応するように永原君が、今回の演武の成果を突如として皆に披露する事と成りました。演武の場で経験した緊張感、そこに至る稽古、その後の検証・・・諸々の事が今回の一本に昇華されておりました。一刀両段の合擊から二の斬り、その後に続く遣いっぷりは緩む事なく確りと張り通した遣いっぷりでありました。年に一度の演武に向かわせる意義が確りと現れておりました。月一の関戸君も負けじと熱く遣っておりました。平素の一人稽古を確りと行っている事が良く判る遣いっぷりで有りました。一二点打太刀と遣い合う事でしか理解出来ない処を指摘し、正す事としました。少しづつ理解を深め、身に付けつつ有ります。共に焦らず、自身のペースで求めて行って貰います。最後に先輩の登場で有ります。確りと後輩の遣いっぷりに啓発されて、負けじと打込んで参りました。演武に参加できなかった鬱憤を込めて繰り出す一撃は合擊と成って心地良い音を発しておりました。二の斬りもかつての連動が蘇って来ておりました。復活を感じさせる遣いっぷりで有りました。
 
途中、今回は休みとばかり思っておりました小林君から連絡が入りました。どうやら念願の新車が届いた様で、今から来るとの事でありました。颯爽と新車で乗り付け、稽古はせぬつもりの様で下座に座して皆の遣いっぷりを見取り稽古しておりました。その後九箇、小転と遣い合いました。何故か弓掛をつけてない先輩有りましたが、大調子で遣い合う村雲では三学のままに、心地良い音を発しさせて良き勝ち口を見せておりました。本人は少し抑え目の小生の太刀行が手加減をしたと感じた様ですが・・・・あいも変わらぬおバカな性格は健在でありました。兎にも角にも良き遣いっぷりでありました。最後に見取り稽古に終始するつもりの小林君を平服のまま道場に立たせました。三学の一本も遣わずに終わらせる訳もありません。平服のまま稽古を行わせるのは・・・稽古見学を求めて来て以来の事でありました。皆の見守る中で三学を気一杯で遣い合いました。この一本に本日の稽古の全てを掛けるように。
 
稽古後は速谷神社に新車のお祓いに行くつもりでしたが、時間が過ぎているとの事で、その件はあす以降に持ち越しとし、食事をしながらの歓談をし散開としました。