広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

11月最初の稽古会

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11月最初の土曜日稽古会を行いました。廣川君は三度目の治療を終えて退院しておりましたが、大事を取らせてこの日は自宅待機を命じました。先週と同様に永原君との直伝稽古と致しました。畳は10月一杯と聞き及んでおりましたが、何故にか11月に入ったこの日も敷かれておりました。基本稽古、一人遣いには最適な空間でほぼ三十分、永原君が黙々と木刀を体捌きを交えて振っておりました。今回は一言も添えずに見守り事としました。徐々に逞しさを増してきた其の様子に嬉しさを感じる物でありました。

礼法を行い、基本稽古に入りました。一人遣いで少々感じていた処を正す事も含めて、少し永めの打込みを繰り返しました。一二点正しながらも数を求めて行いました。すっかり涼しく成った道場内で有りますが、彼の剣道着が汗にまみれるには左程の時間は掛かりませんでした。師弟共々確りと熱き稽古を展開致しました。

暫しの時間、呼吸を調え、兵法に入りました。合撃、二の斬りと其れなりに上達は見せております。後は初太刀から始まる繋がりと相乗効果で有りましょう。まだまだ初太刀は様子見の処が感じられます。初太刀に本日の全てを懸けてみる気迫が必要で有ります。無論それで力みが出るようでは本末転倒ではあります。が、それも又過程と捉えれば良しで有ります。八重垣のくねり打ちはいま一つの威力を求めました。そこから連なる勝口には如何しても必要で有ります。ユッタリと斬る文も正しい太刀筋でなければ意味が有りません。確りと認識を求めました。小太刀の威力のある振り様は手本を示し、平素の一人稽古での熟成を求めました。

最後に抜刀で、兵法と連動した遣い方を求めました。抜刀と兵法が別物に成ってしまっては、まったく稽古の意味を成しません。その点は何度でも指摘しました。高き抜き打ち、低き抜き打ち、その中間と抜刀の生命線を遣い合いました。