広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

五月最後の日曜稽古会

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平静27年5月31日、五月最後の日曜稽古会を行いました。いよいよ来週は宮島嚴島神社の奉納演武であります。この日は皆、忙しい日常を遣り繰りして馳せ参じて参りました。月一の関戸君も偶然にこの日に成った様で有ります。彼以外は、来週の演武に何らかの参加を致します。体験稽古の齋藤君もお手伝いに来てくれる様に成っております。広島柳生会総出の大会参加で有ります。
レースシーズンが始まって、ほぼ一カ月、稽古をご無沙汰しておりました小林君も陽に焼けた顔で参加で有りました。永原君は日々の残業疲れを確りと全身に漂わせての参加で有りました。来週の事も有りますので、少し早目の稽古切り上げを許しました。居眠り運転を心配する程、その顔は眠気に包まれておりました。廣川君も自身のペースで元気な顔を皆に見せて、久々に会う弟弟子達と少しはしゃいで言葉を交わしておりました。久々に揃った皆の姿に少し気持ちが華やいだのでしょう。良き事で有ります。
演武を来週にひかえているとは言え、稽古は何時もの様に行うべき事を粛々と成すばかりで有ります。先ずは打込み稽古を個々に応じて行いました。其々の個々の課題は、阿吽の呼吸で感じ合いながらの打込みで有りました。一人タコ踊りをする者が有ったのは、経験の不足ならびに日々の乱れで有りましょう。警告はメールにて確りと伝えました。後は本人の認識自覚に任せます。剣の修業は結局は自己責任で有ります。
三学、九箇、小転と遣い合いながら其々に良き刺激を与えあい、感じ合っていた様で有ります。何かを感じながらも(思い違いをしていた)と発する者は何を如何思い違いをしていたのか・・・・何にしても触発されながら共に真の上達を目指して精進して欲しい物で有ります。無論、小生もであります。弟子の上達に負けるようでは師の位に有る者としては失格です。常に届きそうで届かぬ存在を誇示します。来れる物なら来てみなさい。
当日の礼法を確認して、抜刀に移りました。軸足の利かしにやっと感じ入る者が有った様です。何度も最初から指摘している筈ですが・・・身に付ける難しさで有りましょう。気がついた事は、何度も自身に言い聞かせ、無意識に出来るように精進してほしい物で有ります。
来週の土曜日に演武前最後の稽古を行い、宮島入りと成ります。後は気一杯で遣い切るばかりです。今年も嚴島神社の神様から皆、お言葉を頂き、次の年までの精進の糧としたい物であります。