広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

2月最初の土日稽古会

令和六年2月3~4日、二月最初の土日稽古会は廣川君との二人稽古と成りました。直弟子達の職務、家庭の事情とは言え、今年度を思い返して観れば・・・少し喝を入れねば成らぬかと・・・そろそろ堪忍袋の緒が切れかかっております。

それはそれでありますが、一旦道場にたち得物を手にすれば、只々夢中になって得物を振り抜く自分がありました。此の二日間は、何故にか手にした木刀を手放す事はありませんでした。三つの太刀筋の内、それも真正面の振りを・・・体捌き、体の運びに気を込め、踏込みに気を込め・・・気が付けば三時間の時が経っておりました。

特に中段からの一拍子の打ちは、永遠のテーマ・・・求めて行く処であります。それも摺足での攻めからの踏込みでの打込み、そこからの数歩の抜け・・・この打込みを極めて行く事が剣の根幹であります。真の真面の完成を求めて、一見単調と思える事を永遠とやり続けるしか術はありません。千変万化する剣も行きつく先は、此の真面一本であります。

日記

広島武徳会

新年剣道特別稽古・・・高段者稽古会

令和六年1月21日、剣道特別稽古会は、新年からは月一回の高段者稽古会となりました。昨年末の剣道七段昇段者の要望を受け入れる事としました。平素は自身の道場で青少年の指導育成に汗を流し、満を持して月に一回、当道場に出向いて参ります。新年初めての広島での高段者稽古会でありました。

稽古方法は昨年までと同じであります。先ずは日本剣道形の太刀七本、小太刀三本の仕太刀を打って貰いました。要望が有れば打太刀も遣って貰おうかとおもっておりましたが、まだまだ仕太刀を確りと修行したいと言う彼の姿勢を尊重しました。修行の方向性は、それで正解であると小生も常に感じている処であります。七段に合格したからと言って打太刀を・・・と、思う様では・・・杞憂でありました。彼は真の上達への道を間違いなく歩んでおります。今回は三本目の萎やし入れ突きに返すと言う処が不充分でありました。打太刀が水月に付いて来る処を胸につき返す・・・この点が曖昧でありました。形稽古は約束稽古であります。打突部位が正確でなければ成りません。突きからの位攻め・・・味わい深いと処でありますし、難しい処であります。まだまだ確りと仕太刀を練り上げて参ります。

地稽古は、この日も先ずは基本の面打ちからでありました。七段に合格したと言っても之からが真の七段に成る稽古であります。正しい確りとした面打ちが出来ねば、価値がありません。そういう意味では、少し小さく成りがちな打ちを大きく正しい打ちを求める様に厳命しました。大きく打てば、打たれる・・・この様な剣の素人の戯言に影響されている訳では無いでしょうが、七段に合格すると往々にして有りがちな事です。更なる真の剣を求める事を厳命しました。大きくと言う事の中には正しくと言う事が含まれております。そこの処を軽薄な頭でっかちで考えたり・・・素人考えは休みに似たりであります。常に学と言う姿勢が大切です。

地稽古(互角稽古)では、試験から解放された為でありましょう、小賢しい(あっち向いて、ほい・・・)とでも言う様な戯けた小手打ち(無論一本と成る筈もない)が出ておりました。少し強い言葉で罵倒しておきました。試験で行えば、即座に不合格に成る事は理解していて、しては成らぬと理解して事を・・・合格すれば何をしても良いとばかりに・・・人間の甘さであります。この様な無作法な打ちを今後一本でも出せば、二度と稽古をつける事は無い・・・と厳命しておきました。成らぬ事は成らぬのであります。
叱られて目が覚めたとばかりに、純真に求めて懸って来ておりました。割れる様な面を打たれ、満足した様に竹刀を納める新七段でありました。

日記

heike10.hatenablog.jp

 

新年第三土曜日稽古会・・・永原君の稽古始め

令和六年1月20日、新年第三土曜日稽古会を行いました。この日は永原君が山口から出向いて参りました。午前中に急遽仕事が入り、それをこなしての初稽古でありました。しとしとと雨の降る一日でありました。

年末から正月と忙しい時期であったでしょうから久々の木刀の感触を楽しむ様に先ずは一人遣いに汗を流しておりました。

新年の挨拶をし、嚴島神社破魔矢、お守り、お年賀の品を手渡しました。今年の現在判っている処の行事を伝えました。無論第一は嚴島神社の奉納でありますが、それ以外に必ず出向かねばならぬ大会行事が四つあります。忙しい一年に成りそうです。しかし良き修行の機会を与えられたとも言えます。有り難い事であります。

稽古の始めは、木刀による打込みであります。根本を求めて正面打ち、順逆、相懸け返し流しを繰り返しました。足腰刀の連動を求め、繰り返しました。可成り足捌きも軽やかに滑らかに成って来ております。

兵法は本伝の太刀を遣い合いました。一本一本の精度を求めて遣い合いました。二の斬りの精度が今一でありました。その意味を今一度考える事を求めました。何処まで打込むか・・・大切な処であります。合撃は緩めないように・・・形をつくる様ではだめであります・・・役にたたねば意味がありません・・・何処までも地稽古で遣える境地を求めます。拍子の捉え処・・・難しくとも活きた拍子を求めて参ります。

日本剣道形は何とか手順を覚えた段階です。手順を覚えてからが真の稽古です。少しずつ精度を高めて参ります。これ又地稽古に活きて来ねば何にも成りません。其処を求めて先ずは確りと形を練って参ります。やはり折敷の胴打ちは難儀をしている様です。本数を重ねるしかありません。

真剣の稽古は立合を行いました。表裏10本を理合を確りと理解して遣う事を求めました。これも絵空事では何の意味も成しません。剣の流派に伝わる抜刀(居合)のその意味を確りと認識し剣に魂を込める事を求めました。抜刀の為の抜刀・・・居合ではこれまた意味がありません。兵法、抜刀、地稽古が一つの物と成る事を厳命しました。

日記

広島武徳会

廣川君七回目の命日・・・ご自宅へ

令和六年1月12日、この日は、廣川君の七回目の命日でありました。久しぶりにご自宅の御佛前にお参りが叶いました。年末にお送りしていた胡蝶蘭とお供えが廣川君の傍に供えられておりました。持参の御仏前とイタリヤの武藤君から送られてきた品と一門からのお菓子をお供えし、般若心経を唱えました。気が付けば胡蝶蘭の後ろに段位証書と延岡市の感謝状が飾られておりました。感謝状は平成25年の延岡武道祭に招かれた時の市長からの感謝状であります。新陰流の演武を二人で行った事を懐かしく思い出しました。

お母様とこの七年の事を久しぶりに語り合いました。本当に色々な事がありました。お父様と共に宮島嚴島神社奉納古武道演武大会に出向かれ、好美君の凛々しい新陰流の形を始めて観た事・・・懐かしそうに話されておりました。そのお父様も廣川君が旅立って三年後には後を追う様に旅立たれ・・・今はこの家を一人で守っておられます。

綺麗に掃除が行き届いたこの家を二人の御佛前を何時まで守ってゆけるのかと・・・ポツリと申されておりました。コロナも余り心配しなくて良い雰囲気の昨今・・・一門でのお参りも少し増やさせて頂きますと言葉を添えてお暇しました。

日記

広島武徳会

令和6年新年事始め・・・嚴島神社初詣

嚴島神社 国宝祓殿前にて

令和六年1月5日、新年事始めとして恒例の厳島神社初詣を行いました。小林、齋藤両君そして廣川君を伴ってお参りに出向きました。平日ではありましたが、新年8連休の方も多い中での宮島詣では、人の波でごった返しておりました。一昨年の様子を思い返せば隔世の感があります。外国からの旅行客も確実に戻って来ております。表参道を避けて嚴島神社を目指しました。

先ずは、嚴島神社拝殿にて一門のこの一年の健康と弛まぬ精進、上達をそして第29回宮島嚴島神社奉納古武道演武大会の盛会を記念してのお祓いを受けました。本年の祝詞奏上は、何時も大会でお世話に成る権禰宜の方でありました。御幣を頭に接していただき、後に挨拶を頂きました。大会を通して顔見知りと成っている神官の方々から次々にご挨拶を頂きました。有り難い事であります。

お祓いを受けた後は、これまた恒例の穴子飯の名店藤田屋を目指しましたが・・・昼時間と言う事もありましたが、多くの先客が、入店を待っている様子にこの日は断念しました。その後、心当たりの数店を訪れてみましたが・・・売り切れやらで、とうとう桟橋近くの店に行き当たりました。之も又良しであります。恒例の穴子飯を食し、これまた恒例の藤井屋の焼き立て紅葉饅頭を頂く為に、今一度後戻りをして表参道へ向かいました。久々の焼き立て紅葉饅頭に舌鼓を打ち、宮島を後にしました。

宮島口桟橋近くの喫茶店にて、初詣、お祓いの余韻を楽しむ様にコーヒーを頂きながら今年一年の取組に想いを馳せました。小林、齋藤両君も更なる上達に想いを馳せ、遠征の多くなるこの一年に奮い立っておりました。誰かに遣太刀を務めて貰わねば組太刀は行えませんので。弟子達の責任も重大であります。

日記

広島武徳会

12月今年の稽古納め・・・続き

令和五年12月23日、今年最後の稽古を終了し、少し念入りに道場の掃除をする弟子達でありました。道場に一礼し、名残を惜しむ様に道場を後にし、忘年会会場であります山口の和木にあります焼肉ダイニング龍Oに向かいました。予定より少し早めに店に到着しましたが、用意万端店主の藤中君が待っていてくれました。野原君は忘年会が終われば大阪に帰宅せねば成りませんので、早速忘年会を始めました。

店主藤中君からの差し入れを廣川君にお供えして、ノンアルコールビールで乾杯をしました。この一年を振り返りながらの歓談は、美味しい焼肉の力を借りて大いに盛り上がりました。

色々な事があり、各地の行事も復活し、忙しく各地を飛び回った一年でしたが、我々を取り巻く事柄が全て調った一年でありました。それも全て良き方向に!有難い事であります。

平素の稽古は無論、来年の宮島嚴島神社奉納古武道大会へ向けて万全の準備をして参ります。次の週に行われる英信館道場70周年記念大会へ出向く事も決定しております。9月の栃木の抜刀道連合会全国大会そして岐阜悟道館50周年記念大会・・・大切な行事への抜かりない準備をして大会に花を添えるべく、皆なに心がけを求めました。

良き余韻を抱えながら皆帰宅の途につきました。

日記

広島武徳会

12月今年の稽古納め

令和五年12月23日、今年の稽古納めを行いました。大阪から野原君の出向いて来るこの日に行いました。齋藤君は、海上勤務の為に今年は参加出来ませんでした。残念ですが致し方ありません。

冷気に満ちた道場での納めの稽古会でありました。寒さを吹き飛ばす様に皆夫々に先ずは一人遣いで身体を温めておりました。今年一年,目指してきた夫々の課題を確り自覚しての一人遣いでありました。形の単なる手順は、傍において、剣の根幹に関わる点に焦点を絞り、取組んでおりました。この姿勢が剣の修行では生涯求められます。

坐礼の際には、今年を振り返っての訓示を述べ、更なる精進を共に重ねて行く事を求めました。師弟同行が剣の修行の根幹であります。何方か一方では駄目であります。

木刀による基本打込では、踏込みの際に体が沈む癖が未だに解消されていない者がありました。軸足の充実を求めました。之は皆に共通の留意点であります。一見沈まなくとも軸足が活きてなくては成りません。常に効いている・・・これが大事であります。特に地稽古では之が効いていなくては、攻めが効きません。

打込みの際に拳が下がらぬ様に・・・特に古流と称する者に有りがちですので、役に立つ打込みを求めました。只古いだけで現代に役に立たぬでは駄目であります。

手の姿、手の内の柔らかさを強く認識させました。ゴツゴツとした手の姿、手の内では、所詮物の役にはたちません。どこまでも柔らかさを求めて遣う事を命じました。

足捌きの滑らかさ、軽やかさ・・・剣は足捌きが生命線です。精密な足捌き何処までも求めて行く事を厳命しました。

今年最後の本伝の太刀を今年一年の想いを込めて遣い合いました。新陰流で最も大切な太刀・・・生涯必ず毎回稽古で遣い合う太刀に己の全てを込めて遣い合いました。打ち合う度に必ず何某かの新鮮な気づきが貰える・・・有り難い事であります。

剣道形では新陰流の理を確り認識し、別物に成らぬ様に遣う事を厳命しました。手順を覚えて来るに従い、少しずつ術理を理解して来ております。精密とは程遠い現実ではありますが、薄紙を一枚一枚重ねて行くが如き修行を重ねて行くだけであります。先ずは新陰流の木刀より重く太いその得物に慣れ親しんで行く事であります。振り込んで行くしかありません。

今年最後の道場での真剣の振りを皆で心行く迄振り込みました。心地よい刃音を求めて正しい太刀筋で、何処までも足腰刀の連動を求めました。

単なる手順を覚える事を修行、上達と勘違いする事無く、根幹の太刀筋を何処までも求めて振り抜いて参ります。一刀両断の自身の人中路を斬り通す太刀筋そして順逆の太刀筋・・・最も大切なこの三つの太刀筋の精度を求めて振り込んで参ります。続く・・・