広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

2月第三日曜日稽古会

令和五年2月19日、二月第三日曜日稽古会を行いました。この日は、岩国から永原君が出向いて参りました。ここ一年は、コロナ対策やら、子育て奮闘中につき、月に一回の稽古参加と成っております。稽古に飢えた様子で小生の道場到着を今や遅しと待ち構えておりました。

剣道着袴に着替えるのも、もどかしそうに早々に着替えて、一人遣いに精を出しておりました。

この日は、六年前廣川君が一人静かに旅立、一か月余り一門で喪に服した後の喪明けの稽古始の日であります。その事を永原君も思い出し(昨日の様に感じます)と一言発して、恐らく廣川君の稽古風景を思い出しながら夢中に成って、木刀を振っておりました。

静寂の中で彼の振る木刀の発する刃音が道場内に響いておりました。良き供養の刃音でありました。

正面に向かい、坐礼を行い、その際に剣道形用の木刀一式を授けました。

基本稽古は木刀による打込みであります。元立のかざす木刀目掛けて、体を正しく運ぶ事を念頭に、何度も打込んで参りました。打ち抜けでどうしても体の運びが、左寄りと成る事に難儀しておりました。送り足で只体を真っ直ぐに運び・・・これが中々に難しい・・・求めて行くしかありません。

兵法では、本伝の太刀を遣い合いました。根幹と成る、最も大切な太刀を今日只今のただ一本に全ての気迫を込めて遣い切りました。誘致する・・・この点の主体性をもっと発揮する事を求めました。追い込まれては、駄目です。これが、地稽古に活きてきます。

その後、剣道形の伝授も行いました。この日は、まずは竹刀でおこないました。剣道形の木刀は、新陰流のそれよりは太く、重たいので先ずは、素振りで振り込んで慣れて貰います。夫々の木刀を遣いこなす・・・大切な事であります。

真剣での抜刀では、立合を中心に抜き合いました。制剛流の母刀そして基本刀法は、数限りなく抜いて貰いました。一点一画を大切に気を込め、真の刀法を求めて抜き、振り込みをしました。基本刀法を疎かにして抜刀の形など有り得ません。基本こそ全てであります。地稽古もしかり。

締めの稽古は、防具を着けて基本打込そして地稽古であります。ここでも先ずは基本打込であります。足腰刀の連動を求めて、大きく、鋭く打込みを繰り返しさせました。大きさの中には正しくと言う意味が含まれています。

地稽古では、位攻めを意識して遣いました。無論、何とかしのぐ工夫、気迫を求めてのものであります。何度か反撃を試みる永原君でありましたが、反撃を試みれば反対に打ち取られ、成す術なく下がる事しか出来ない状態でありました。そんな中での一本の功名と成り得る応じらしき一本がでました。偶然に出た一本を我が物とするように工夫を命じました。

六年前を思い出しながら、生前廣川君が闘病に苦しみながらも新年の稽古始めの為に用意してくれていた鏡餅と廣川君の写真が見守る前での稽古会でありました。

日記