広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

三月第三週土日稽古会

イメージ 1 延岡武道祭を一週間後に控えた、前週の土日稽古会を行ないました。この日は大阪から野原君が、久々に土曜日に休みを取り、出向いて参りました。永原君も土曜日出勤が無く、久しぶりに会う兄弟子と挨拶を交わしておりました。この二日間は外は正しく春の陽気でありました。道場内は今少し残る冷気に満ちており、皆で寒稽古の名残を確りと楽しみました。稽古の始まる前は、其々に自身の立ち位置で一人遣いを繰り返しておりました。野原君の踏込みの遣い方に違和感を感じて、先ずは摺足での大きなしかもユッタリとした伸びやかな体捌きと拍子を求めました。大阪での一人稽古が永い為に少し悪癖が見られました。体の運びを正しました。10年に成る彼の修行は博多から始まり、新潟、大阪と通ってくるには多大な努力を強いられる環境に有ります。それだけに場に臨めば、五感を研ぎ澄まし、その上に第六感まで総動員して正しい物、手本を写し取る感覚を高める事を再度求めました。博多からの悪癖で、見えている事柄を認識する事が大変希薄な処がまだまだ見受けらます。毎回確りと気を込めて意識せなば到底正されぬほど重症では有りますが、彼の粘り強い処に期待してその熟成を待ちます。しかし、毎回の叱責には手心は加えません。その失言の多い阿呆な言動は機を逃さず、一刀両断に致します。

それぞれの基本稽古、打込みを確りと行って貰いました。自分が行っていない時は見取り稽古に精を出す弟子達でありました。其々の良い処を認識し合っている様で有りました。先週、小太刀の振りに目覚めて、振り回してしまい過ぎ、少し肘を痛そうにしながらも、皆に触発されていつも以上に打込みを頑張る廣川君でありました。演武を控えて気持ちが高揚して来た様であります。永原君は相懸け流しの体捌きに特に気を配っておりました。体の振れはましに成っておりましたが、その分出が物足りないと感じました。あちら立てればこちら立たずであります。しかしその様にしながら、充分な体捌きに成って行く事を期待しております。野原君の硬さは、繰り返し繰り返し打込みを行ない、取り去るしか方法は有りません。流した汗の量ほどしか身に付かぬのも又道理であります。確りと汗を流して貰いました。

兵法は無論先ずは三学を皆で遣い合いました。三者三様で、打太刀は同じで有りますのに其々に趣の違う勢法になる。しかも毎回新たなる気持ちで遣い合える。面白い物であります。一見すると然程難しい勢法ではない、この三学の五本の遣り取りの中に無限の可能性を感じる毎回であります。延春先生に三学だけを教えて下さいと言った日の事を昨日の事の様に覚えております。その気持ちは今も変わらず、いやその時よりもも気持ちは強くなっている昨今で有ります。それも取り上げにその真価有りであります。

その後、九箇、小転、燕飛と遣い合いました。九箇は三学程ではありませんが、みな其々に心境の向上を観せて来ております。誰とは言いませんが、いまだに八重垣の勝ち口に乱れを見せる阿呆がいるにはおりますが・・・・。見えている事を認識する事の未熟・・・しっかりせい!

合擊の手応えに新たなる心境を見せ始めた廣川君は、二の斬りの連れ拍子にも嬉々とした物を感じ始めた様であります。それに触発された様に、永原君も意図とせぬ足の長い、大調子の斬りを一本打ち出して来ました。本人も自身の打ちとは言え、思わぬ打に自身で驚いておりました。良き事であります。

二日間に渡り、演武前の稽古会を其々が充実の中で終える事が出来ました。稽古の最後に其々に仕込杖と抜刀を行ない、確りと気を納める事が出来ました。稽古の食事をしながらの歓談では、演武の事、平素の仕事の事にも花を咲かせました。支払いの前に、永原君から(臨時ボーナスが出ますので、今日は自分が払います)との驚愕の申し出が有り。一同驚きと感激で有りました。彼も確りと大人の社会人として成長しております。嬉しき事であります。