広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

二月最初の日曜稽古会

イメージ 1 この日から二月の稽古会に入りました。一年の内では一番寒い時期であるはずですが、此処暫く寒気も一休みという感であります。無論、道場内はそれなりに冷えてはおりますが、あの身を切るような寒稽古真っ盛りと言う雰囲気がそろそろ欲しいと感じる昨今であります。この日も若者達が勇躍駆け付けて参りました。挨拶を済ませると何時もの様に、自身の立ち位置で黙々と一人遣いを繰り返しておりました。回を重ねて皆それなりに一人遣いが様になってきました。自身の稽古のあり方が会を重ねた回数に応じて身に付いて来ている様子が感じられて、嬉しく感じる小生で有りました。

座礼を行い、早速に基本稽古に入りました。自身の課題を求める処を其々に確りと認識しながら繰り返す基本稽古も入門に応じて各人数え切れ無い本数をこなしておりますが、身に付ける事の難しさを感じる時間でも有ります。自身の身体、心を正しく遣う事がこれほどに難しく時間を要する事であるとは思いもしなかった事でありましょう。只、元立に打込む基本でさえこうであります。打太刀、遣太刀で遣い合う形稽古ではなお更であります。手順を覚えれば事なれりと思っている者には生涯判らぬ処で有ります。手順を覚えてからが本当の稽古となります。無論、基本稽古を打込みを確り積む事が大前提であります。これは生涯行わねば真の剣には成りえません。剣舞に堕す事なく、弛まぬ精進を続けるのみであります。

自身のプロとしての平生のトレーニングを探り探り行っている若者の本日の打込みは、明らかにそのトレーンングの弊害が出ておりました。集中的に行っている一部の筋肉が明らかに体捌きの邪魔をしておりました。ある種の圧を集中的に加えられた一部の筋肉が出しゃばった動きをして全体としての働きを阻害しておりました。身体全体のバランスを今後どの様にコントロールして行くかが課題でありましょう。しかしそれは所詮自身の気の遣い方に集約されますので、弛まぬ基本稽古と形稽古で克服してゆくしか方法は有りません。トレーニングではなく稽古で解決するしか無いのです。剣の世界には所詮、稽古しか有り得ません。

いま一人はどうしても体捌きにブレが生じます。特に右太刀の体の運びに難があります。これも又所詮自身の身体を遣いきれて無いと言う事でありますが、左太刀はそこそこに良い体の運びが出来ているのですから、自身との会話を確りと行えば正されて来ると言う事であります。

基本稽古では少し苦しんでいた若者も兵法に入りますと思わぬ良い働きが出ました。特に三学の合擊、一刀両段のそれは前回、遅ればせながら実りの時期を迎えた余韻そのままに一つ上の段階に達した手応えでありました。昨年僅かに感じた最高の手応えを凌駕するものでありました。そしてこれは自身の予想していた物ではないであろう今一つの最高の感覚が出ました。それは右旋左転の逆性の付けであります。まるで相手の剣先に吸い付くようなその感触は自身をして驚きの一瞬であった様であります。思いもしない心地よい感触に暫し我を忘れていたようであります。師弟共々喜びを共有出来た一瞬で有りました。この様な瞬間が教習を行っていて最も至福の時であります。有難い事であります。一人遣いでは決して味わえない処で有りましょう。

其々に良き感触を共有しながら勢法を終え、抜刀に移りました。刀を振る楽しさを共有しながらも又その難しさに四苦八苦する若者達でありました。真剣は我では決して言う事を聞いてくれません。刀に全てを任せる境地を目指して振込むのみであります。時間の許すまで抜き合い、本日の稽古を終了致しました。