広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

12月第二土曜日稽古会

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12月11日

令和三年12月11日、第二土曜日稽古会を行いました。この日は、前回熱が出て休みとなった小林君と海上勤務明け休暇中の齋藤君が出向いて参りました。

病み上がりの小林君は、明らかに身体が細くなっておりました。何とも軟弱に身体が反応するものかと少し呆れました。元気な盛りの年齢とはとても思えません。彼の鍛え直さねば成らぬその心身の貧弱さを感じました。

反対に齋藤君は、此の休暇中の食も含めての怠惰な様子が、その緩んだ体つきに滲み出ておりました。明らかにボテておりました。

二人の緩みきったその心身を少しシャッキとさせるべく、木刀での基本打込はながめの物としました。息を切らせ、汗を体中から滴らせ、必死に呼吸を調え、打込みを繰り返しておりました。油断する事を悪癖として身に付けては取り返しがつきません。心身に喝を入れておきました。この甘ったれた者達には油断も隙も見せる訳には参りません。

兵法では、基本稽古で少しは喝が入ったとは言え良い時の手応えが出る訳もなく・・・特に合撃は、打太刀の打込みに弾かれておりました。道場で気を入れて貰おうとの甘ったれた依頼心に偏った状態では、拍子の太刀を遣える筈もなく・・・。何時までも性根の入らぬ事であります。

その様な状態でありますので、防具を着けての地稽古では・・・成す術も無く、逃げ受けに成って仕舞い、懸り稽古の様に打たれ続けるしか術はなかった事は当然であります。攻められ・・・受けではなく、凌ぐ・・・一見同じ様でありながらその内容には天地の差があります。

そんな中でも真剣での抜刀では、二人共に手応えのある振りからの刃音を何本かたてておりました。相手がいなければその腑抜けた精神でも何とか成る様であります。

しかし剣技は相手に通じなければ意味が有りません。相手に通ずる真の剣技を求めての師弟同行が続きます。

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