広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

新春一月最後の日曜日稽古会

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1月30日

令和四年1月30日、新春(一月)最後の日曜日稽古会を行いました。先週は、小林君の体調不良により稽古は休みとしましたがこの日は齋藤君が元気に出向いて参りました。ここ一週間の中では少し気温の低い一日でありました。

一人遣いの状態を観ておりますと踏込みは、本人も平素からかなり意識が行っている様で可成り確りと踏めるように成って来ております。剣の修行は踏込みに尽きると言っても良い物ですので生涯懸けて高めて行って欲しいと願っております。強さの次は、鋭さであります。

相懸けは低くならぬ様に、低さゆえに首をすぼめる様では本末転倒であります。

打込んだ際の左手の縮みは、所詮右手主導と成っている証拠であります。左手主導で遣う事を求めました。

本伝の太刀では、大調子でゆったりと遣いながらも一瞬の冴えを求め、決して手順だけを追う形(かたち)稽古に成らぬ様に常に地稽古を意識して遣う事を求めました。形と地稽古が別物では剣とは言えません。この日は何故にか気が先走り打太刀より僅かに早く動く気配を見せておりました。あっては成らぬ事であります。遅れずに連れ従う事を厳命しました。先走っても遅れても・・・駄目であります。それが剣であります。

真剣での抜刀では、基本刀法にやっと光明が・・・それも突然に観えてきました。袈裟斬りなど小生が(ニヤリ)とする太刀筋をみせておりました。之もすべてこれまでの拳が下がる遣いっぷりにやっと終止符を打つ事を自覚出来た所以であります。頭で理解できても自身の身体がいう事をきいてくれない・・・やっと心身が調って来ました。身に付けると言う事は然程に難儀で有ります。知識として理屈を知っただけでは実学たる剣では、何の役にもたちません。知り得た事を身に付けるまで知った気に言葉として発するなど愚か者の所作事であると身の程を知らねば成りません。

本日の稽古の締めであります防具を着けての地稽古では、真剣の振りで身に付けつつある基本刀法が基本打込に良き打込として表れて来ておりました。形稽古、抜刀、地稽古の良き連動をみせておりました。

無論、打込み自由の地稽古に成ると・・・只々打込まれ台と化す齋藤君ではありましたが・・・剣先での攻め、凌ぎそこに相手に連動する体捌き、気捌きを少しずつ理解し、身に付け・・・いつの日にか師の位から一本を取れる日が必ず来ます。・・・その日を楽しみにしながら、師弟同行の日々が続きます。

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