広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

二月最初の日曜日稽古会・・・小林君の稽古始め

f:id:heike10:20220207103914j:plain

令和四年2月6日、この日から二月の稽古会が始まりました。新年一月の何と早かった事か・・・最早二月の始まりであります。この日は、宮島嚴島神社初詣以来となる小林君との顔合わせでありました。仕事やら体調不良やらで彼にとりましてこの日が彼の新年の稽古始となりました。

稽古始に先立ち、神妙な面持ちの小林君が小生の前に正座をして参りましたので・・・新春の訓示・・・そろそろ伝えても良い頃と感じ、阿吽の呼吸で、入門以来のこの10年の彼の仕出かした不始末、不調法、無作法の数々を指摘する事としました。本人に受け入れる準備が整わぬ内には真の叱責には成り得ませんので。

家庭を持ち、そろそろ人の親と成っても良い年齢と成った彼の今後の修行、生き様に真の喝を入れる事としました。今度こそは、心身の奥底に響いてくれる事を真に願っての気入れでありました。

後は実践あるのみです。思っただけでは何の役にもたちません。行動なくして役にはたちません。

坐礼の際に、遅ればせながらお年賀とお守り、永原君からのお土産を手渡し、稽古初めとしました。

今シーズン最高の寒さの中での稽古は、先ずは木刀による打込みで身心の芯から温める事としました。新春早々、冷水を浴びせかけられた様な小林君の凍えた身心から蒸気が立ち昇るのに然程の時間は要しませんでした。

無心に、夢中になって打込む稽古により身心の余計な付き物が洗い流され、滴る汗の下の顔は観るみる内に晴れやかな様相を呈しておりました。

その良き傾向は、兵法においても彼の課題の二の斬りの太刀筋に突如として顕現しました。この10年の修行の成果が突如として・・・得難い時間の共有でありました。

知り得て、判ったつもりでも・・・求めても、求めても遣いこなせない・・・然程に剣と言う物は難しいものであります。軽口や判ったつもりの分を弁えない言動の入る余地など微塵もありません。真の礼を身に付けねば剣は、剣足り得ずであります。

その後、真剣での抜刀、地稽古を行い、本日の小林君の稽古始を無事に終える事が出来ました。

稽古前の冷水を浴びせられる様な訓示が、本日だけでなく今後の修行は元より、平然の日常に活かされる事を願うばかりであります。

正伝柳生新陰流 広島柳生会