令和四年3月20日、前日に引き続き日曜日稽古会を行いました。昨日同様に齋藤君がこの日も出向いて参りました。さて昨日の決定(けつじょう)がどの程度か・・・よくよく見極めさせてもらう事としました。この者達の物忘れの酷さは・・・過去に何度も煮え湯を飲まされおりますので。・・・何故にか道場への到着の遅い馬鹿弟子でありました・・・論外!
昨日は叱責、説教の時間を多く取りすぎた為に真剣での抜刀を割愛しましたので、この日は一人遣いの時間を少なめにして、早速本稽古に入りました。
基本打込での龍の口、右わきの締め・・・形の沈み、自身で気が付かねばならぬ事に又しても指摘されるまで気が付かない齋藤君でありました。常に気を働かせなさいと厳命している事を何と心得ておるのか・・・。
本伝の太刀、試合勢法ではその遣い方の拍子の変化に四苦八苦の様子でありました。臨機応変の対応が求められます。次から次と速い拍子で展開する試合勢法を下手な考えで遣おうとしても間に合う筈も有りません。本伝の太刀は、それなりの進歩を見せております。
昨日出来なかった真剣での抜刀では、順勢の太刀筋に拳の下がりの悪弊が顔を覗かせておりました。之では剣が走るわけも有りません。所詮僅かな力み所以であります。自身で取り去るしかありません。
居合(座技)では、その大きな体を自身でコントロール出来ずにギコチなく遣っておりました。何度も身体に染み込ませるしかありません。払いの太刀筋は、良き感触を醸しだしておりました。巻藁くらいは斬り落とせそうでありました。
本日の稽古の締めであります防具を着けての地稽古では、何故にか交刃の間で遣おうとする齋藤君でありました。この間で師の位に対峙すれば・・・攻めも必要無く、只打たれ続けるだけであります。その事に稽古の後に諭されねば気が付かぬ・・・単なる阿呆であります。
打たれる間にいるのですから、所謂居合の抜き打ちの如く中段からの瞬息の打ちを喰らうばかりであります。目で追っても見えるはずも有りません。
間合の大切さを思い知った稽古と成った事は間違いない事でありましょう。
お彼岸三日目の稽古合で有りました。明日は、彼岸の中日・・・お墓に出向きます。