広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

6月最初の土曜日稽古会・・・嚴島神社奉納演武前日。

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6月6日

令和二年6月6日、第26回宮島嚴島神社奉納古武道演武大会の前日稽古会を行いました。この日は、夏真っ盛りかと思われる天候でありました。明日の演武を控えて若者達が先ずは一人遣いで思いの丈を込めて、木刀を振り込んでおりました。滴る汗が心地よさげでありました。

通し稽古の前に、確りと息が上がるまで、木刀での打込みを行いました。元立の木刀と言えども物に向かうと一人遣いの様子が、変わって仕舞う事を指摘し、正し、充分な打込みを求めました。永原君の打込む際の踏み込みの強さはその後の体の運びに気が行き過ぎて、肝心の踏み込み自体に不足を感じました。之では、本末転倒です。初太刀の踏込みに気を込める事を厳命しました。

小林君もしかり、者に向かうと右手主導となってしまいます。しかも縮こまり気味・・・何度も伸びやかな打ちを求めて打込ませました。

ともに身に付くまで飽くなき繰返し稽古をするしかありません。そして身に付けたと思っても・・・。

基本稽古終了後は、冷たいお茶で一息入れ、明日への思いを語りあいました。正しく当会の一年の計が明日にあり、そして一年の始まりでもあります。

そして明日の演武通りの通し稽古を行いました。通し稽古を終えて厳命した事は、只々自身の一振り一振りに気を込め、上手く遣いたい等と言う雑念をすて、ただ夢中になって遣いきるだけである。気一杯で今日只今の自分を出し尽くすのみでああります。

稽古の締めは、無論地稽古であります。現在只今の自身の課題を意識し、そして夢中になって地稽古に取組んでおりました。只々人を相手に一本を取る難しさに途方に暮れている状態の若者達でありますが、地稽古の大切さ、面白さにも目覚めつつ有る様であります。何にしても稽古を終えての爽快感は、格別でありましょう。面を外したその疲労困憊の表情の中にある満足感が如実にその心の内を物語っております。

師弟同行の稽古あるのみ。グダグダ、ない頭でしたり顔で考えを巡らせても所詮愚の骨頂!真の師弟同行あるのみ!

                                  喝!

日記