広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

宮島厳島神社奉納演武

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二年ぶりの宮島厳島神社での奉納演武を行いました。昨日、前日稽古を行い、場の空気を乱さぬように特に礼法には気を配っての演武となりました。之までの12回に及ぶ11月のそれとは明らかに気候の違いを感じた演武で有りました。兎に角暑い一日で有りました。通常身体を慣らす為に使用させて頂いている広場も陽が降り注ぎ、通常なら演武者が溢れていますのに今回は数名の使用しか有りませんでした。紋付を身に付けての演武までの待ち時間は今までに無く、一工夫入る物で有りました。


演武に臨むに際し、少なくとも半年から一年前にはその演目の課題を与え稽古に励むのは勿論の事、特に神様の前で演武するその意義及び取組み方、威儀の正し方には厳しく指導し自覚を即しております。場に臨むには威儀を正し臨むように指導していた積もりでありますが、その心意気は集合場所の桟橋で脆くも崩れ去りました。約一名のその服装を見たときには愕然としました。これからドライブにでも行くのかと言うような緊張感の全く無いその服装には正直その場でお引取り願おうかとも真剣に考えました。今一人の演武に対する緊張感とは対極でありました。かつての大阪や博多、名古屋の阿呆を思わずにはいられませんでした。頭の中には大した物が入ってないのは充分に承知しておりましたが、此処までの馬鹿たれとは正直途方にくれました。これではまともな演武など臨むべきも有りません。


案の定最初の座礼で一人トコトコと隅に控えて欠礼した事も気が付かず、演武が終わって他流の前で10分余り叱り付けられても勢法の至らなさを叱られていると勘違いする始末。欠礼に気が付いたのが深夜目を覚ました時であると言うに至り、どこぞの前総理の様な宇宙人と称された御仁の恥知らずな日常を思い出さずにはおれませんでした。


演武は三学、八勢、九箇を遣いました。いまだ経験の浅い者達の演武で有りますので、少々ユッタリと大調子で遣う積りが朝の出来事でその様な気持ちは消えうせました。特に八勢は怒りに近い物をぶっつける熱い物と成りました。その様な気、勢いについてこれるはずも無く、半年に及ぶ成果のカケラも見せる事は適わず、本人は又してもと言う忸怩たる思いに沈んでいるようでありました。しかしこの時点では平生の遣い方と異なる熱い気を小生が何故発したのか本人は知る由も有りません。三学、九箇は他では味わえない緊張感の中では良く遣ったと言えます。無論個々の今までの最高の状態と比べればそれを凌駕するものとは言えませんが、荒れた床、周りの他流派の目、応援の親族、諸々を勘案すれば良い出来で有りました。演武後の拍手がその出来を物語っております。しっかり観衆の心には届いておりますし、神様から良き言葉を頂けたと思います。


二年振りの厳島神社での演武は前記の様な事は有りはしましたがしかし小生に取りましても参加できた他の会員に取りましてもやはり清清しいもので有りました。すぐる過日、突然演武への出場を延春先生から申し付けられ、最初は固辞しましたが厳命には逆らえず出場する事となりました遠き日が懐かしく思い出されます。以来この日を目指し一年一年日々の稽古に励んできたと言っても過言では有りません。師の恥に成らぬ様に、自身の一年毎の成果を宮島の神様に問う様に励んで参りました。途中から自身の育てた弟子達を率いての事と成りましたが、自身の修行の一環で有る事は変わり有りません。二年振りの演武は神前での師との語らいの場でも有りました。


分を弁えない外道に汚された11月の演武に二度と出る事は有りませんが、今回ご縁を得た6月の演武には弟子達の上達状況をみながら又参加したいと考えております。兎にも角にも長い一日が終了致しました。感謝の一日で有りました。