広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

九月最後の土日稽古会

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九月27,28日と土日稽古会を行ないました。九月の稽古会も今回が最後となります。いよいよ秋本番となり、稽古のしやすい、実りの時期を迎えます。稽古でも毎年、この時期に皆一年間の稽古の成果を出してきます。楽しみな時期であります。土曜日に永原君、日曜日に関戸君、その両日に廣川君と皆其々に自身のペースで出向いて参りました。小林君は仕事で両日共に欠席で有りました。
 
永原君の一人遣いを言葉を添えずに静かに観ておりますと黙々と振るその捌きは、伸びやかで良く気持ちの籠った物に成って来ておりました。涼しくなって来たこの時期でも道場の端から端までを幾度も往復しながら繰り返す日々の一人遣いは確実に心身に良き蓄積を行っております。これは又関戸君にも言えます。少し前に課題を与えた股関節の硬さを感じさせる足の捌きが良くなってきておりました。龍の口の備えは、過去に指を骨折した影響で少し違和感はありますが、力みが抜けていれば問題有りません。人差し指の備えは正しました。得物を正しく遣うには、この段階で我流は許されません。特に呼吸法は直伝を施しました。伝えるべき事は伝えましたので後は日々の実践有るのみであります。行として日々苦しみながら実践して欲しいと願っております。
 
兵法は三学、九箇、試合勢法、小転と遣い合いました。合擊はやはり一日の長が有る廣川君が良き手応えと打ち合わせる音を発しておりました。関戸君もその違いに目を瞠っておりました。兄弟弟子の遣い様に真摯に感動する事は確実に自身の上達に繋がります。良き姿でありました。前回良き二の斬りが出た永原君は、三本揃えることに少し苦戦をしておりました。しかしながら一本一本が勝負でありますので、これは之で良しであります。形だけを調えてもそれは死物であります。常に活きた物を求める我らには単なる形は必要有りません。活きた状態で、何時の日にか三本を遣いきる事が出来る様に求めて行くのみで有ります。今回の白眉は永原君の村雲でありました。時に廣川君が、軽く遣ってみせる勝口がどの様にしても表せなかった物が、今回初めて飛び出して来ました。一番驚いたのは無論本人かもしれません。これで又先輩の負けじ魂に火が付いた様で有りました。之も又良き事でありました。
 
兵法の最後は無論、抜刀で有ります。各人の愛刀を其々に心ゆくまで抜き合いました。時に鞘を斬っておる者も有りましたが、これは修行ですので仕方有りません。お上品に形ばかりを追っても仕方有りません。兵法と同じくあくまで活きた物を求めて行くのみであります。
 
稽古の合間に皆で一服しながら四方山話をしましたが、広島の災害がおきたばかりで次は御嶽山の噴火と思いもせぬ出来事が続き、犠牲者が出ている事に話が及びました。何やら天の啓示と想わずにはおれない状態であります。明日は我が身と思い、いつ何がおきてもおかしくない決定し、悔い無き一日を過ごしたいものであります。合掌。