広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

愛弟子との最後のお別れ(一門総出で)

平成29年1月14日、廣川君との最後のお別れを致しました。此の日は一門が、万障を繰り合わせて参列できました。大阪から飛んで参りました野原君も、その流れでる涙を押さえようがない様子で有りました。12日から会場に安置されまして、通夜の日までの一夜を別室で過ごした彼女の枕元には、入門以降常に廣川君が、慈しみ振込んだ愛刀兼次が、もう眼を開ける事のない主人を静かにお守りしておりました。ご家族の配慮で、数時間二人っきりの時間を頂けましたので、入門からこれまでの、共に過ごした稽古の出来事やら楽しかった遠征、宮島演武、延岡遠征そして演武とあらゆる事の思い出話を語り続けました。語り尽くせぬ事ではありましたが、お喋り好きの好美君が、そうしたであろう様にその姿に語りかける最後の二人だけの時間を過ごし、末期の水を与えました。
通夜の時が、近づき、納官前の身支度、化粧が行われました。旅立の全ての身支度を整えた好美君は、両脇に小生手作りの、遣いなれた蟇肌竹刀の大小を携えて、静かに棺に横たわりました。本当に美しい姿でありました。これまでの痛み苦しみから完全に開放されて、本当に穏やかな美しいその姿に又涙が溢れて参りました。
東京に出張しておりました小林君も9時頃には、スーパーGT500昇格への正式発表を終えて駆けつけて参りました。この事を我が事の様に喜んでおりました好美君で有ります。自身がお祝い出来ない事のある事態を予感した彼女は、事前に祝金を小生に託しておりました。何処までも気配りの彼女でありました。
本葬には、多くの方々が駆けつけて参りました。この日の有る事を察知していた彼女は、姉に(もし自分に何かあれば、家族葬にして欲しい。しかし、先生と一門、関係の深い武道関係者には知らせ欲しい)と託しておりました。しかしながら之までの彼女とのお付き合いの有った方々からの参列依頼は、後を絶たず、家族葬とはなりませんでした。誰からも愛された彼女の葬儀です。それは家族葬など端から無理だったのです。これで良かったのです。
すすり泣きあるいは号泣する声の満ち満ちた中での葬儀で有りました。一門で棺を担ぎ、車に乗せて、火葬場まで同行し、収骨と成りました。
葬儀の全てが、終わりました。1日に緊急搬送されてからの二週間は、一門に取りましても激動の日々で有りました。まるで10年が過ぎ去った様にも感じます。何とか一日でも早く自身の平生のペースを取り戻すように一門に銘じましたが、小生自身が一番遅れそうであります。
痛みも苦しみも無い世界へ、大小の蟇肌竹刀を携え
て旅立った彼女は、大好きだった新陰流の稽古を思う存分できます。今頃は、延春先生に挨拶を済ませ、村山さんとの再会を果たし、もう稽古を始めているでしょう。どうぞ、ここ数年病の為に不足気味でした稽古を思う存分に楽しみ、暫しの間待って居て下さい。私も直に参ります。又、思う存分稽古三昧の日々を送りましょう。本当に本当に私の下に来てくれて有難う。   合掌!