広島柳生会

正傳新陰流 広島柳生会

剣道の修業の一環として新陰流・制剛流抜刀術を伝承する広島柳生会の日常の稽古風景や出来事を掲載する。

12月今年の稽古納め・・・続き

令和五年12月23日、今年最後の稽古を終了し、少し念入りに道場の掃除をする弟子達でありました。道場に一礼し、名残を惜しむ様に道場を後にし、忘年会会場であります山口の和木にあります焼肉ダイニング龍Oに向かいました。予定より少し早めに店に到着しましたが、用意万端店主の藤中君が待っていてくれました。野原君は忘年会が終われば大阪に帰宅せねば成りませんので、早速忘年会を始めました。

店主藤中君からの差し入れを廣川君にお供えして、ノンアルコールビールで乾杯をしました。この一年を振り返りながらの歓談は、美味しい焼肉の力を借りて大いに盛り上がりました。

色々な事があり、各地の行事も復活し、忙しく各地を飛び回った一年でしたが、我々を取り巻く事柄が全て調った一年でありました。それも全て良き方向に!有難い事であります。

平素の稽古は無論、来年の宮島嚴島神社奉納古武道大会へ向けて万全の準備をして参ります。次の週に行われる英信館道場70周年記念大会へ出向く事も決定しております。9月の栃木の抜刀道連合会全国大会そして岐阜悟道館50周年記念大会・・・大切な行事への抜かりない準備をして大会に花を添えるべく、皆なに心がけを求めました。

良き余韻を抱えながら皆帰宅の途につきました。

日記

広島武徳会

12月今年の稽古納め

令和五年12月23日、今年の稽古納めを行いました。大阪から野原君の出向いて来るこの日に行いました。齋藤君は、海上勤務の為に今年は参加出来ませんでした。残念ですが致し方ありません。

冷気に満ちた道場での納めの稽古会でありました。寒さを吹き飛ばす様に皆夫々に先ずは一人遣いで身体を温めておりました。今年一年,目指してきた夫々の課題を確り自覚しての一人遣いでありました。形の単なる手順は、傍において、剣の根幹に関わる点に焦点を絞り、取組んでおりました。この姿勢が剣の修行では生涯求められます。

坐礼の際には、今年を振り返っての訓示を述べ、更なる精進を共に重ねて行く事を求めました。師弟同行が剣の修行の根幹であります。何方か一方では駄目であります。

木刀による基本打込では、踏込みの際に体が沈む癖が未だに解消されていない者がありました。軸足の充実を求めました。之は皆に共通の留意点であります。一見沈まなくとも軸足が活きてなくては成りません。常に効いている・・・これが大事であります。特に地稽古では之が効いていなくては、攻めが効きません。

打込みの際に拳が下がらぬ様に・・・特に古流と称する者に有りがちですので、役に立つ打込みを求めました。只古いだけで現代に役に立たぬでは駄目であります。

手の姿、手の内の柔らかさを強く認識させました。ゴツゴツとした手の姿、手の内では、所詮物の役にはたちません。どこまでも柔らかさを求めて遣う事を命じました。

足捌きの滑らかさ、軽やかさ・・・剣は足捌きが生命線です。精密な足捌き何処までも求めて行く事を厳命しました。

今年最後の本伝の太刀を今年一年の想いを込めて遣い合いました。新陰流で最も大切な太刀・・・生涯必ず毎回稽古で遣い合う太刀に己の全てを込めて遣い合いました。打ち合う度に必ず何某かの新鮮な気づきが貰える・・・有り難い事であります。

剣道形では新陰流の理を確り認識し、別物に成らぬ様に遣う事を厳命しました。手順を覚えて来るに従い、少しずつ術理を理解して来ております。精密とは程遠い現実ではありますが、薄紙を一枚一枚重ねて行くが如き修行を重ねて行くだけであります。先ずは新陰流の木刀より重く太いその得物に慣れ親しんで行く事であります。振り込んで行くしかありません。

今年最後の道場での真剣の振りを皆で心行く迄振り込みました。心地よい刃音を求めて正しい太刀筋で、何処までも足腰刀の連動を求めました。

単なる手順を覚える事を修行、上達と勘違いする事無く、根幹の太刀筋を何処までも求めて振り抜いて参ります。一刀両断の自身の人中路を斬り通す太刀筋そして順逆の太刀筋・・・最も大切なこの三つの太刀筋の精度を求めて振り込んで参ります。続く・・・

12月今年最後の西宮剣道高段者稽古会

令和五年12月20日、今年最後の西宮剣道高段者稽古会に出向きました。行きは良いよい帰りは・・・今年最大の寒波襲来でのドライブとなりました。

ここ最近は、御兄弟のお一人の足の具合を考慮しての二か月に一回の高段者稽古会としております。楽しみにして頂いている稽古会ですから請われる儘にお伺いしております。三人夫々が本当に楽しみにしている三人だけの特別な時間であります。

先ずは剣道形であります。一時期御兄弟から刃引き(模擬刀)でとの申し出を受けてそれで行っておりましたが、現在は木刀で行っております。木刀でなけねば行えない稽古もあります。先ずは確りと木刀で打ち合いたいと考えております。木刀でも危険を伴いますので本来は、小生だけが打太刀を行った方が良いのですが・・・。お一方が、足の具合で折敷が出来ませんので・・・致し方ありません。

矢張り打太刀が師の位・・・それを再度痛感したこの日の形稽古でありました。動きの中で打べき処を打てない者が打太刀を打つべきでは無い・・・そう感じた今回の剣道形でありました。そうで無い打太刀あいてにする場合の工夫を感じました。技を変えても応じる場合、必要があります。形は活き物・・・そこは臨機応変の変化が必要であります。しかしながら五年以上稽古を続けていれば、確かに良き手応えが随所に出て来ております。これが同じ者で練り合う意義であります。形は練りあう物であり、例えば全国大会で平素稽古してない者同士で打ち合う物では断じてない。

地稽古では、何時もの様に小生がお二人のお相手をしました。足の具合が今一つの方相手に思わず出て仕舞った拳倒しで、思いもかけず転倒させて仕舞いそうになり、打ち抜ける捌きを左右に捌く事に変えました。それが考えてするのでなく、身体が自然に応じておりました。古流の居合をされている故の振り被りに拘った地稽古をされるお一人相手には振り被りを予想して遣うのではなく、その気配に応じて打ちを繰り出す事をしました。予想して遣っては恐らく振り被りで抜かれていたとおもいます。又は振り被る事で打ち其の物を防がれていたと思いますが、そこは窓が空く処に打ちを繰り出す事は出来た様です。今ひとつ振り被り始める瞬間を捉える工夫を感じました。今一段の先の継続でありましょう。

弟先生のお相手は、打ち気を少し抑えた打ちに対する応じ返しの工夫であります。全く打つ気の無い一足への対応・・・危険を感じない時の自身の心の持ち様・・・なかなかこれが難しい。自身の中でたとえ当たっても一本に成らないと感じた時のその打ちを無視する事への対応を自身に課しました。

所詮攻めの不足と感じたのか、位攻めで少しずつジリジリと道場の隅に追い詰める事を繰り返し、先打の気を放った瞬間の動きに応じて打ちを繰り出しておりました。

稽古後の反省の懇談で、小手を打たれた時の衝撃の強さに驚き、面に出る体捌きの速さに驚きを表しておりました。弟先生は、摺り揚げ面を食らった時の打ちの強さに衝撃を覚えておりました。(あんな摺り揚げ面を打たれた経験がありません)と言うその表情・・・新陰流の形稽古、剣道形が活かされていた様で嬉しく感じました。お二人共形稽古を地稽古に活かす事の重要性を再認識されておりました。打たれた技が全て形稽古から来ていると感じ入ってくれたようであります。良き一年の稽古納めでありました。

日記

広島武徳会

 

 

12月第三日曜日稽古会

令和五年12月17日、12月第三日曜日稽古会を行いました。それに先立ち、15日から予ての予定通り延岡迄出向き、旧征武館道場の一切の引継ぎを行って参りました。10年振りにお会いする今は無き甲斐館長の相続人であります息子さんと道場の今後の行く末を託す佐藤君(志誠館館長)と三人で司法書士事務所で落ち合い、取引契約を行い不動産移転手続きの全てを執り行いました。前回の延岡遠征の日に急逝した甲斐館長の残された道場に付いてご遺族の方々との折衝を重ねて参り、この日を迎える事が出来ました。相続人であります息子さんのご厚意には感謝しかありません。これで甲斐館長も後顧の憂いなく旅立つ事が出来たと思います。後は託された者達で真の武道場としての場を活かすだけであります。

この日は二日前と一転して一面の雪の中での稽古会と成りました。道場内の冷え込みを今年一番でありました。そんな中前回に引続き出向いて来た小林君がその寒さを吹き飛ばす様に先ずは、一人遣いに精を出しておりました。それで体を温め、次の基本打込を終える頃には顔から汗が噴き出ておりました。この寒さも彼の中では何処にか吹き飛んでおりました。疲れて来ると左肩の上がる今年の課題も顔を覗かせておりましたが、かなり改善されてきております。木刀を取る手の気配が今少し柔らかくなる事を求めました。所詮ゴツゴツした手では、真の剣遣いには成り得ません。

兵法では大拍子、大調子で遣う事を厳命しました。ユッタリと遣って間に合うように・・・小拍子で間に合わせても何にも成りません。意味を持った遣い方を求めました。

剣道形で体の運び、間積もりに今少しの精度を求めました。此の間合の精密さが地稽古に活かされてきます。決して曖昧に成っては成らぬ処であります。

真剣での抜刀では抜附けの際の剣先の納まり・・・これまた決して疎かに出来ぬ処であります。剣遣いの根幹に関わる処の精度を求めました。決して単なる手順、曖昧な恰好だけで終わらぬ修行の姿勢を求めました。

防具を着けての地稽古では、ここでも先ずは基本打込を何度も行わせました。面打ち、小手打ち・・・少しづつ鋭く強く成って来ております。180センチの長身を活かせつつあります。そして地稽古・・・ジリジリと位攻めで道場の隅まで追い詰められ・・・打ち取られ・・・打って行けば待ってましたと、応じ技が飛び出して来て・・・一見成す術無い状況に感じる小林君ですが、実は地力が着実に蓄積されています。打たれて打たれて何時の間にか強く成っているのが、真の稽古であります。気が付けば五時間余りの稽古時間が過ぎ去っており

広島武徳会

12月廣川君月命日のお墓参り・・・小林君を伴って

令和五年12月12日、廣川君の月命日のお参りに出向きました。スーパーGTのシーズンを終えた後も忙しく飛び回っている小林君ですが、つかの間の時間を繰り合わせて、今回のお参りには同行が叶いました。昨日来の雨も上がり無事にお参りが叶いました。

お供えの生花も神鹿が食した様子が各所のお墓にも広がり、茎だけが残っておりました。少しお墓周りを掃除し、生花とミカンをお供えし、線香を上げ、何時もの様に般若心経を唱えました。数日後に控えた延岡への遠征の報告もしました。内外共に色々な事があった令和五年も後三週間で過ぎ去って行きます。報告の多いこの日のお参りでありました。

同行の小林君も今年一年の報告を確りとしている様子でした。今シーズンのスーパーGTでは、二度の優勝を飾る事が出来、シリーズチャンピオンも今少しの処まで手繰り寄せながら、三度目の優勝を手にしたと誰もが思ったあとの検査で失格・・・辛酸を舐める事と成ったのは、返す返すも残念でありました。しかし、之も彼も含めたチーム力の至らなさであります。個人、チーム共に真摯に高めて行くしかありません。下学して上達する・・・これしかありません。まだまだ個人としてもチームとしても至らぬ未熟なチームであります。日常の雑事の類も確りと隙無くこなさねば、真の力はつきません。

この日もお参りの後に廣川君の前で7月の延岡遠征、その後の新居完成に至る一連の不始末、無作法の件を二度と忘れぬ様に、其の何か勘違いしている性根を正す様に強く申し付けました。人として地域に溶け込み、生きて行く事を願うばかりであります。

日記 ,

広島武徳会

12月最初の日曜日稽古会

令和五年12月3日、12月最初の日曜日稽古会を行いました。11月は中盤以降、地域行事の為に稽古を休みとしておりましたが、12月に成りまして少し落ち着いて参りました。この日はこれ又久しぶりに顔を合わせる事と成った永原君と小林君が出向いて参りました。

早すぎ行く令和五年の反省を胸に出向いて参りました。我が子も一歳を超え、新居も構え、仕事においても指導的立場に立ちつつある彼らであります。最早一人前であらねばならぬ立ち位置に達し・・・それでもまだまだ間違いを犯し、未熟な自身を振り返らざるを得ない現状を確りと認識し、前に進む彼らであります。

一振り一振りに自身への間斬りを行い、少しずつでも自身を高めて行く事を願うばかりであります。常に至らぬ自身を斬り捨てて行くしか方法はありません。強い自覚を持って自身の至らなさに向き合って行くしか方法はありません。如何なる言い訳も受け付けません。成らぬ事は成らぬのであります。

坐礼において自身に取って聞きたくは無いであろう人格に付いての捨て置けぬ点を今一度指摘し、自覚を求めました。此の欠落事項は強い自覚でしか克服できぬ事であります。発達障害かと疑われる事の無き様に厳命しました。

この様な事も所詮は修行の不足・・・基本の曖昧さであります。剣を正して行けば心も正されます。根幹の稽古を行いました。最も大切な正面打ち・・・何処までも正しさを求めて、正して行きました。

基本打込、兵法、剣道形、真剣での抜刀、ぼうぐを着けての地稽古・・・全てを一つとして遣い合いました。打ちも強くなりつつ有りますが、地稽古と成るとまだまだ逃げ打ちと成っておりました。基本稽古を活かす事を命じました。基本稽古と兵法及び地稽古が別物と成らぬ様に、無意識な遣い分けなど絶対にせぬ様に・・・これがひいては道場内外での言動に違いが出る要因と成ります。断じて遣い分けなどせぬ様に厳命して遣わせました。

道場外の不始末は所詮は稽古不足です。一回でも多く出向いて来る事を厳命しました。

日記

剣道七段合格者の報告を受ける。

令和五年11月16日、自宅に11月の名古屋での剣道昇段試験にて七段に合格した某氏が報告とお礼に訪れました。コロナ騒動が何処かに過ぎ去った感の昨今、町内外の行事が復活し、ここ暫くそちらのお世話で稽古を休みとしておりましたので、この様な仕儀と相成りました。

之までも稽古の無い時には、自宅への訪問を受けて、剣道の事やら刀の事やらに相談を受けたり、対応をしておりましたが、今回は無論昇段試験の報告でありました。

小生の元に通ってくるようになって三年目と成りますが、初めて竹刀を交えて感じた事は・・・圧倒的な基本打込の不足そして基本刀法の欠如・・・先ずは、それを求めて遠回りの様でも剣道形を確りと行う事を課しました。そして巷の剣道場で行っているであろう双方が打太刀、仕太刀を交代して行う練習では無く、仕太刀だけを小生相手に一本勝負の気迫で打つ・・・直伝稽古を行いました。その後、防具を着けての基本打込・・・特に面打ちは、手本を示し何本も息が切れるまで打込んで貰いました。そして息を調えての地稽古・・・打たれ続ける自分を見詰め、自覚し、その中から間合の攻防、攻めをトコトン感じて貰いました。この三年近くとうとう一本も取る事は叶わなかった某氏でありますが、何時の間にか七段昇段試験に通る力量を何時しか身に付けており、今回の合格と成りました。

満足の行く遣い方の出来た昇段試験の様子を共に喜び合い、之からの真の七段になる精進を求め激励いたしました。そうです、七段昇段試験に合格してからが真の七段になる稽古です。今後もご指導を継続してお願いしたいと言う某氏の瞳にはその気迫が漲っておりました。